災い転じて福となす
なぜか、先日、実家のお遣いで外出した際、このことわざが心に浮かびました。
いえ、何も災いはございませんでした。。。
郵便局に用があったのですが、全てスムース、年賀はがきのお年玉が当たっていたので、見てるだけでテンションが上がる、福運満開な招き猫の切手セットも引き換えて来ました。
だからね、なんで「災い転じて福となす」なのか〜(^^;)
その言葉の後に、勝手にブログの文章が湧いて来たので、多分この話を書けということかと…
災いは災いでも、それを福にしてしまう「となす」の主語が要。
はい、私たちです。
トラブルに遭って、それをただのアンラッキーにするか、そのトラブルに潜んでいる宝探しをして、めでたくラッキーにするか、その選択をするのは私たちです。
鏡の法則を使えば宝探しはすぐ!だし、その宝物の有り難さは、困難の度合いと比例するので、ひどいトラブルなら一層ラッキーの度合いも大きくなります。泣くのと笑うのが同時だろうか。。。
とんでもない目に遭うからには、それほどに傷めてしまったエネルギーを自分の内側に持っていたということです。
それを突き止めて癒せれば、同じ目に遭わないのは勿論のこと、その重みを外したことでうんと軽くなり、人生がガラリと好転する可能性もあります。
まず、このような理解の有る無しだけでも全然違いますが、その理解があったとしても、ベースとなる波動によって、心にかかる負担も全然違うでしょう。
「頭ではわかってるんだけど、う〜〜〜」というレベルから、即「超ラッキ〜♪」(あんた頭のネジ吹っ飛んでる?)というレベルまで、ベースとなる波動の高低で反応が違って来ます。
というわけで、最近、散々同じような話をしていますが、とにかくベースとなる波動を上げておくことが全ての鍵だ、と書きたいっとものすご〜く強力なプレッシャーが日々かかるのは、これ、私がというより、後ろが騒いでいるような(^^;)
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