なんて興味深いのだろう! by アジャシャンティ
とうとう、アジャシャンティの本を読み終えてしまいました…こういうすご〜く濃い本はちびちび読むようにして、長持ちさせるんですが、やっぱりいつか終わっちゃいます。
で、丁度今朝アップしたオリオンの高等評議会のメッセージと重なる部分があったので、書き写しときます。
p274〜p276
関係性のただ中にあなたとしてありつづけること(それはただ気づきの光でいるということです)は、人間にとって最大の挑戦です。表面に現れて見えないものは「私を押して」というシールが張られた小さなボタンのようなものです。そのボタンは指を引き寄せます。それが神聖さのすばらしい点です。それが無意識のまま未処理のものなら小さなボタンがついていて、やがて無意識のままではいられなくなるでしょう。「見つけた!」と誰かがボタンを押すと、ブーンと音がしてあなたの怒声が響くのです。そうです。あなたの怒りは意識されたのです。そこにチャンスがあります。ところが私たちは怒りをできるだけすばやく無意識に追いやってしまいます。だから私たちはそれを見ないのです。「怒りが押し出された。あれはずっと僕とともにいた。それはプログラミングの中にあった。なんて興味深いのだろう!」と意識する代わりに、人々は心理学者のもとに行くか、概念や哲学の終わりのない連続へと入っていく傾向があります。ところで怒りを経験するとはどんな感じでしょうか? 「これは何だろう?」と問いかけることで意識がその内側へ入っていくことが許されます。ですから怒りはあるかもしれませんが、今それは意識された怒りとなったのです。反対に怒りを取り除こうとしたり、怒りをやみくもにどうにかしようとするとき、あなたは本当は怒りとともにはいないのです。
気づきの光とはもっとも深い変容のための仲介者です。自らの無意識を意識しようとすることでもっとも深い錬金術が起こります。その小さなボタンが押されると何かが無意識から浮上し、目覚めたままでいるように手招きするのです。それだけです。ただ目覚めているだけで錬金術が起こるのです。ただ目覚めていてください。
(中略)
目覚めとは後ろに下がることでもなければ、説明しようとしたり、取り繕ったり、なくしたりすることではありません。目覚めの体験が許されるとき、それはあるがままのすべてへの深い愛と思いやりです。愛はつねに今、この瞬間に自らを投げ出し、今の中へと完全に身を任せます。かかわり方はいたってシンプルです。それは謙虚で、とても親密な関係です。そのときあなたはまったく違うやり方で他者と出会うことができるでしょう。
『禅 空を生きる』(鈴木純子訳 太陽出版 2014.11.1)
で、丁度今朝アップしたオリオンの高等評議会のメッセージと重なる部分があったので、書き写しときます。
p274〜p276
関係性のただ中にあなたとしてありつづけること(それはただ気づきの光でいるということです)は、人間にとって最大の挑戦です。表面に現れて見えないものは「私を押して」というシールが張られた小さなボタンのようなものです。そのボタンは指を引き寄せます。それが神聖さのすばらしい点です。それが無意識のまま未処理のものなら小さなボタンがついていて、やがて無意識のままではいられなくなるでしょう。「見つけた!」と誰かがボタンを押すと、ブーンと音がしてあなたの怒声が響くのです。そうです。あなたの怒りは意識されたのです。そこにチャンスがあります。ところが私たちは怒りをできるだけすばやく無意識に追いやってしまいます。だから私たちはそれを見ないのです。「怒りが押し出された。あれはずっと僕とともにいた。それはプログラミングの中にあった。なんて興味深いのだろう!」と意識する代わりに、人々は心理学者のもとに行くか、概念や哲学の終わりのない連続へと入っていく傾向があります。ところで怒りを経験するとはどんな感じでしょうか? 「これは何だろう?」と問いかけることで意識がその内側へ入っていくことが許されます。ですから怒りはあるかもしれませんが、今それは意識された怒りとなったのです。反対に怒りを取り除こうとしたり、怒りをやみくもにどうにかしようとするとき、あなたは本当は怒りとともにはいないのです。
気づきの光とはもっとも深い変容のための仲介者です。自らの無意識を意識しようとすることでもっとも深い錬金術が起こります。その小さなボタンが押されると何かが無意識から浮上し、目覚めたままでいるように手招きするのです。それだけです。ただ目覚めているだけで錬金術が起こるのです。ただ目覚めていてください。
(中略)
目覚めとは後ろに下がることでもなければ、説明しようとしたり、取り繕ったり、なくしたりすることではありません。目覚めの体験が許されるとき、それはあるがままのすべてへの深い愛と思いやりです。愛はつねに今、この瞬間に自らを投げ出し、今の中へと完全に身を任せます。かかわり方はいたってシンプルです。それは謙虚で、とても親密な関係です。そのときあなたはまったく違うやり方で他者と出会うことができるでしょう。
『禅 空を生きる』(鈴木純子訳 太陽出版 2014.11.1)
- スピリチュアル・アーカイブ
- / trackback:0
- / comment:0
- [ edit ]