永遠の天国モード
昨日の続きです。
人生アップダウンがあるのは自然なことで、一見うまくゆかないようなことも時にはありますし、どうにもこうにも疲れちゃって、思考も心も勝手に暴走して激不調!なんてことだってあるでしょう。
でも、それを自分も周囲も被害甚大なトラブルにせずに済ますことは可能ですし、よいしょっとエネルギーをひっくり返して?心底不調な状態から「何でもなくて天国な日常」を出現させることすら可能です。
あんまり疲れてたりすると、まずはよく休んだりして、ベースになる霊的体力を取り戻すことも必要ですが、そうじゃなければ、ティク・ナット・ハーンは呼吸を使え、とおっしゃってますが、呼吸でも何でも手近にあるものを利用して正気に帰れば、あら不思議、天国モードです。この天国モードは、やっぱり日常的に瞑想をしたりして、何でもなくちゃんと自分の中にあって、簡単に手が届く、ということによく慣れておくのがお薦めです。
そして、私たちの中にある天国モードは、不変で決して失われることが無い正真正銘の本物です。時々ずれちゃっても、そんでもって、時にはひどくずれちゃうことが結構あったとしても、一旦経験し始めれば納得していただけるかと。。。経験していてもちゃんと意識できなかったり、外側にある疑似天国が本物だと信じ込んでいて、本物の天国モードをスルーしちゃっていると、「あんた何のこと言ってるわけ〜?」になっちゃうと思いますが…。
意識して毎日を過ごすようになってから気づいたのは、何か楽しいことをしているから楽しいのではなくて、自分のハートがちゃんと開いていて、内側にある楽しさや幸福感にちゃんとつながっているから楽しめる、ということです。本当にこれ、シンプルなんですが、旧三次元では殆ど顧みられなかった真実です。どこか旅行に行ったから、何か楽しい事をしたから、何か欲しいものが手に入ったから、楽しい…って、これ、当たり前だと皆で一緒にかた〜く信じて来ましたが、もしまだ真実だと感じていらっしゃるなら、一度と言わず、毎日よ〜〜く日常生活の中で意識しながら疑ってみる価値は甚大です。
相当疲れをためて行った沖縄の離島で、素晴らしいグラデーションの海を見ても全然美しく感じられなくて途方に暮れたことがありました。。。なんかの拍子にお留守番をしているウチの鳥のことを思い出し、かわいいかわいい、ちゅーちゅーなどと、異次元経由でエネルギーを送ったか何かしているうちにハートが開いたらしく、ふと我に帰ってもう一度同じ景色を見たら、正真正銘の絶景で心底その美しさに感動できました。その間、ほんの数分、いや数十秒だったかもしれません。この手のことは、もううんとこさ経験して、未だに経験し続けています。
考え事や心配で頭がいっぱい=心が曇っているほどひどい状態じゃなくても、ハートが閉じていたら、やっぱり「何でもなくて天国な日常」は感じられません。何かすご〜く素晴らしいことがあって天国モード!というのは、実は擬似的、一時的な影のようなもの、とtomokoは思っています。はっきり言って、あんまりあてになんないし、うっかり執着するようになんかなっちゃたら、地獄モードです(^^;)本物は、本当に何でもないのに輝いているフツーな毎日の方です。この本物はハートを通じて私たち本来の幸福感が投影されているだけなので、私たちがハートを開くことを厭わなければ、いとも簡単に出現します。
要するに、外側のあれこれの条件は関係ありません。だから、なんかあれこれ面倒な事が一見起こっているような状況でも、天国モードに在ることは可能です。ちょっと手間がかかったり、う〜ん今回はこりゃだめだ〜、みたいなことも時にはあるでしょうが、たぶんそんな時だって時間の問題です。自分の内なる天国にスイッチを切り替えられるどうか、それだけですから。
そうやって天国モードで自分を楽しませて、好きなことをしていたら、そりゃあご機嫌ちゃんですから、周囲にもその余録は広く及ぶというものです。Mirus Clubでは、こんな風に自分を楽しませ幸せにすることで、この世界を天国にする方々を強力に応援しております☆
人生アップダウンがあるのは自然なことで、一見うまくゆかないようなことも時にはありますし、どうにもこうにも疲れちゃって、思考も心も勝手に暴走して激不調!なんてことだってあるでしょう。
でも、それを自分も周囲も被害甚大なトラブルにせずに済ますことは可能ですし、よいしょっとエネルギーをひっくり返して?心底不調な状態から「何でもなくて天国な日常」を出現させることすら可能です。
あんまり疲れてたりすると、まずはよく休んだりして、ベースになる霊的体力を取り戻すことも必要ですが、そうじゃなければ、ティク・ナット・ハーンは呼吸を使え、とおっしゃってますが、呼吸でも何でも手近にあるものを利用して正気に帰れば、あら不思議、天国モードです。この天国モードは、やっぱり日常的に瞑想をしたりして、何でもなくちゃんと自分の中にあって、簡単に手が届く、ということによく慣れておくのがお薦めです。
そして、私たちの中にある天国モードは、不変で決して失われることが無い正真正銘の本物です。時々ずれちゃっても、そんでもって、時にはひどくずれちゃうことが結構あったとしても、一旦経験し始めれば納得していただけるかと。。。経験していてもちゃんと意識できなかったり、外側にある疑似天国が本物だと信じ込んでいて、本物の天国モードをスルーしちゃっていると、「あんた何のこと言ってるわけ〜?」になっちゃうと思いますが…。
意識して毎日を過ごすようになってから気づいたのは、何か楽しいことをしているから楽しいのではなくて、自分のハートがちゃんと開いていて、内側にある楽しさや幸福感にちゃんとつながっているから楽しめる、ということです。本当にこれ、シンプルなんですが、旧三次元では殆ど顧みられなかった真実です。どこか旅行に行ったから、何か楽しい事をしたから、何か欲しいものが手に入ったから、楽しい…って、これ、当たり前だと皆で一緒にかた〜く信じて来ましたが、もしまだ真実だと感じていらっしゃるなら、一度と言わず、毎日よ〜〜く日常生活の中で意識しながら疑ってみる価値は甚大です。
相当疲れをためて行った沖縄の離島で、素晴らしいグラデーションの海を見ても全然美しく感じられなくて途方に暮れたことがありました。。。なんかの拍子にお留守番をしているウチの鳥のことを思い出し、かわいいかわいい、ちゅーちゅーなどと、異次元経由でエネルギーを送ったか何かしているうちにハートが開いたらしく、ふと我に帰ってもう一度同じ景色を見たら、正真正銘の絶景で心底その美しさに感動できました。その間、ほんの数分、いや数十秒だったかもしれません。この手のことは、もううんとこさ経験して、未だに経験し続けています。
考え事や心配で頭がいっぱい=心が曇っているほどひどい状態じゃなくても、ハートが閉じていたら、やっぱり「何でもなくて天国な日常」は感じられません。何かすご〜く素晴らしいことがあって天国モード!というのは、実は擬似的、一時的な影のようなもの、とtomokoは思っています。はっきり言って、あんまりあてになんないし、うっかり執着するようになんかなっちゃたら、地獄モードです(^^;)本物は、本当に何でもないのに輝いているフツーな毎日の方です。この本物はハートを通じて私たち本来の幸福感が投影されているだけなので、私たちがハートを開くことを厭わなければ、いとも簡単に出現します。
要するに、外側のあれこれの条件は関係ありません。だから、なんかあれこれ面倒な事が一見起こっているような状況でも、天国モードに在ることは可能です。ちょっと手間がかかったり、う〜ん今回はこりゃだめだ〜、みたいなことも時にはあるでしょうが、たぶんそんな時だって時間の問題です。自分の内なる天国にスイッチを切り替えられるどうか、それだけですから。
そうやって天国モードで自分を楽しませて、好きなことをしていたら、そりゃあご機嫌ちゃんですから、周囲にもその余録は広く及ぶというものです。Mirus Clubでは、こんな風に自分を楽しませ幸せにすることで、この世界を天国にする方々を強力に応援しております☆
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