ほんとうの親子になる日
昨日、母親のことを書きましたが、正直なところ、この人と良い関係どころか、最低限トラブらない関係でいることでさえ不可能だ、と長い間信じてきました。
精神世界の勉強を始めて、癒されない人間関係は無いと繰り返し読んでも、この人とだけは無理じゃないの?と思ったものです。
でも自分の中を見てはエネルギーの歪みを癒すようなことを散々続けて、気がついたらそれほどひどい親子関係でもなくなっていました。それでもまだ全然母親のことが好きだとは思えなかった頃のことですが、何か用事で実家に向かう途中、ふと私の知らない若い頃の母親のイメージが見えて(って、肉眼で見ている風景と二重写しですが)、とても不安でどうしようもない心がありありと読めました。それは若い頃に限らず、ずっと彼女の中で猛威をふるい続けてきた苦痛で、これがいつでも彼女の不可解だったりとんでもなかったりする言動の源です。
そういう頭でする理解はとっくにあったので、わかっているつもりでしたが、この時の理解はもっと深いレベルでの本物の理解でした。その不安に苛まれる苦痛がありありと感じられましたが、同じエネルギーはもう自分の中では解決済みだったので、とても静かにその痛みを共有した感じがしました。
そしてその時初めて、この人生で初めて、母のことを受け入れられた気がしました。
それからすぐだったと思いますが、何かのきっかけで母の手をとったことがありました。おそるおそるだったのですが、って変ですか? 以前、勢いよく払いのけられたことも一度ありましたから…。でも、この時は、とても自然に母は私の手を握りました。たぶん払いのけた時は、無意識で、それも私の強烈な拒絶感に自動的に反応したのだと、今ならわかります。
でも、去年でしたかシスター・デーン・ニエムの自伝を読んで、あ〜まだまだだわ…と思った記憶があります。
つづく〜☆
精神世界の勉強を始めて、癒されない人間関係は無いと繰り返し読んでも、この人とだけは無理じゃないの?と思ったものです。
でも自分の中を見てはエネルギーの歪みを癒すようなことを散々続けて、気がついたらそれほどひどい親子関係でもなくなっていました。それでもまだ全然母親のことが好きだとは思えなかった頃のことですが、何か用事で実家に向かう途中、ふと私の知らない若い頃の母親のイメージが見えて(って、肉眼で見ている風景と二重写しですが)、とても不安でどうしようもない心がありありと読めました。それは若い頃に限らず、ずっと彼女の中で猛威をふるい続けてきた苦痛で、これがいつでも彼女の不可解だったりとんでもなかったりする言動の源です。
そういう頭でする理解はとっくにあったので、わかっているつもりでしたが、この時の理解はもっと深いレベルでの本物の理解でした。その不安に苛まれる苦痛がありありと感じられましたが、同じエネルギーはもう自分の中では解決済みだったので、とても静かにその痛みを共有した感じがしました。
そしてその時初めて、この人生で初めて、母のことを受け入れられた気がしました。
それからすぐだったと思いますが、何かのきっかけで母の手をとったことがありました。おそるおそるだったのですが、って変ですか? 以前、勢いよく払いのけられたことも一度ありましたから…。でも、この時は、とても自然に母は私の手を握りました。たぶん払いのけた時は、無意識で、それも私の強烈な拒絶感に自動的に反応したのだと、今ならわかります。
でも、去年でしたかシスター・デーン・ニエムの自伝を読んで、あ〜まだまだだわ…と思った記憶があります。
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