恐怖
恐怖はごく一部の健康的=必要なものを除き、とても有害なエネルギーです。
横断歩道を渡っている時に突っ込んでくる車がいたら、恐怖でフリーズするのではなく、安全な方向にダッシュしたいものですが、こうした自分自身を守るために必要な恐怖以外は、全て役立たずどころか、私たちの足を引っ張る厄介な存在です。
怖さを感じてはいけないと言っているわけではないので、誤解のないようにお願いします。ありのままの感情を抑圧すると、後がよくないので。
ただし、怖いと思ったら、それをまず認めて受け入れる必要はありますが、言いなりになったり、コントロールされるのは避けたいところ。キープし続けるのはもってのほかです。
なぜ恐怖が有害かは、このブログでも既に色々書いたような気がしますが、それは潜在意識に潜って毒を持った扱いにくいエネルギーについてだったかもしれません。
今、書いているのはもっと単純な、既に意識に既に上っている恐怖について、です。
不必要に怖いものは、大抵怖がる必要が無いものです。
それを怖がったら、自分自身の力をその対象に明け渡してしまい、自分を弱め、対象を強めてしまいます。あるいは相手が生き物である場合、恐怖のエネルギーがシンクロして、相手の攻撃性を引き出したり、強めます。
さっさと手放すか、根っこに面倒なトラウマが絡んでいれば、それを解除しなきゃ、ね。
以前、カフェのテラスで、スズメバチとご一緒させていただいた事があります。
(去年のブログ「スズメバチとのふれあい」で詳細を書いています。)
勿論、怖かったですよ。これはお役立ちな恐怖の反応です。
それでも、慌てたり動いたりする方が危険だと思ったのと、私が静かにしていると、あちらさんのエネルギーもミツバチ並みの穏やかさになったため、かなり長いことそうして座っていました。
新しい恐怖を作り出さないよう、ハートの奥の無条件の愛と平和にフォーカスして、静けさと安心のエネルギーを纏うようにと、集中です。
途中、スズメバチがカップを持った私の手にとまって、鳥の毛繕いならぬ蜂の羽繕いを始めたのには閉口しましたが、まあ、そこらの木くらいの静けさを達成できたという事にしておきましょう。
飼い鳥が毛繕いするのは、心底リラックスした時なので、スズメバチさんもリラックスなさっていたののかもしれません。
ところが、他のお客さんが入ってきて、蜂がいると大騒ぎし始めた途端、蜂のエネルギーが殺気立って危険になったため、退避することに。
これはエネルギー的にとても貴重な体験でした。
知っているだけと、実際に体験することには雲泥の差があります。
山の中で熊に出くわしたら…
う〜ん、あっちのお腹が空いていたら、どんなに愛と平和のエネルギーにフォーカスしたって、アウトでしょうね(^^;)
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