仮の姿とその意義、また贈り物
先にご紹介したタイラー・ヘンリー著『ふたつの世界の間で』(ナチュラルスピリット刊)の中で、とても強い印象を受けたエピソードがあります。
ヘンリー氏が、精神障害に端を発する破滅的な生涯を送り、ティーンエイジャーの娘を残して、薬物の過剰摂取で亡くなった母親のリーディングをした際、二人の母親が現れて混乱したと言います。
一方は陰鬱で精神的に混濁したエネルギー、もう一方は非常にクリアーな意識で、大切な娘に対する様々なアドバイスを伝えたがっていました。
対照的なエネルギーで、生き地獄の中で死んだ生みの母親と、それとは別の育ての母親かと思ったものの、クライアントの娘さんからは、育ての親はいないという返事でした。
私は、この二人は同一人物に違いないと直感しました。
以前読んだアニー・ケイガン著『アフターライフ』(ダイヤモンド社刊)を、瞬間的に思い出したからです。
あまりにも強烈な印象で、読んだのは随分前ですが、いまだに時々思い出すほどです。
ブログも書いているので、よろしければ、「死んだ後、正確には肉体を脱いだ後のこと」(2016/07/11)をご参照ください。
麻薬中毒者にして売人、長い収監とリハビリ施設の再生プログラムを経てホームレスになった兄は、高速道路を走行する車に自ら飛び込んで悲惨な最期を遂げた…
でも彼は、普通の人々が死後に通過するような天国をすっ飛ばして、一直線に魂の故郷に還りました。途轍もない高い波動の魂が、敢えて汚辱に塗れる人生の経験を選択して地球に来たのです。
私たちは人々をその言動で判断したり、非難しますが、それは今生、体験する必要があってしていることで、その人生全体を俯瞰した生前の意図が理解できない以上、本当は判断はできないのです。
そして、そうした破滅的、あるいは有害な傾向を持った人と関わる場合、こちらも何か意義深い計画を抱えて、その人と出会っているということです。
どんなことが起きようとも、そこには魂の計画があることを認め、それを何らかの意義があるものとして受け入れ経験する時、人生の贈り物を受け取ることができます。
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