決して失われることの無い完全無欠の至福
瞑想に入って、自分自身の本質と繋がった瞬間、あり得ないような幸福感に満たされます。
散々その至福に浸ってこちら側に帰ってくると、涙が滲んだり流れていたりして驚くことも度々…
脳科学者ジル・ボルト・テイラーが『奇跡の脳』(竹内薫訳 新潮社刊)で、自身の脳卒中を体験し、左脳の機能が失われている間の例外的な状態を詳しく記述しています。
p70
左の方向定位連合野が正常に働かないために、肉体の境界の知覚はもう、皮膚が空気に触れるところで終わらなくなっていました。魔法の壺から解放された、アラビアの精霊になったような感じ、大きな鯨が静かな幸福感で一杯の海を泳いでいくかのように、魂のエネルギーが流れているように思えたのです。肉体の境界がなくなってしまったことで、肉体的な存在として経験できる最高の喜びよりなお快く、素晴らしい至福の時がおとずれました。
私が瞑想中に経験している感じととてもよく似ています。
普段は働きすぎな知的な脳の活動が、内側から流れ来る至福情報をブロックしているのかもしれません。
勿論、日々本質への到達度は変わり、今日は天使の愛を思い出すようなパワフルさでしたが、時間をかけてきっちりエネルギー調整しても、至福度がイマイチなことはあります。
それでもあれこれ準備をして、時にはお金も山盛りかけて、時にはこの重い肉体を移動させて…みたいな、現実で何かを経験する労力と比べれば、エネルギーの投資額ほぼゼロで、ね。
瞑想にもコツのようなものがあるので、ある程度慣れる必要がありますが、こんなに簡単に幸福感を手に入れられて、なんでもっと普及しないかなあ。。。
アルコールやドラッグみたいな副作用も一切無いし。
あ、現実的な幸福感や満足が、その完全無比な至福の前では色褪せる、というのが一種の副作用になるかもしれません。
ただ、そうして現実との端正な距離ができる分、何があっても「まあ、そうねえ」というスタンスで、あまり真に受けず=ひどく苦しまずに済むのは、これまた有り難くないでしょうか?
しかも!
この幸福感には、現実的な幸せとは違い、理由や原因は一切ありません。
つまり、あなたが存在している限り、決して失われることがありません。
ただ瞑想に入り、あるいは本質的な自分とシンクロする。
それだけです。
常にそこにあります。
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