生と死
大切な人を見送ってしばらくは、泣きたい時には泣き、しっかり悲しむことが必要だと思っています。
別次元で生きているのを知っているし、高齢で散々病を抱えた親たちだったので、肉体と一緒に辛かった症状を脱いで清々している様子が感じられても、やはりひどく悲しくて、この次元特有の喪の期間だと思って過ごしました。
最近バシャールの動画で、亡くなった相手からのコンタクトを悲しみという感情に誤解して感じている場合があるという事について知り、ちょっと驚きました。
どのみち、深い絆は生死の境に影響されないのですが、私たちの生と死を隔てる意識、というか思い込みがきつすぎて、そう感じられなくなってしまうのでしょう。
私の両親を見送った後の経験も、混乱といえば混乱していて、コミュニケーションができるにも関わらず、胸が痛くなるような悲しみを覚えたりすることも多かったです。
可笑しかったのは、去年のお彼岸だったか、手作りのおはぎをお茶と一緒にお供えしたところが、がっかりしたような父の顔が浮かび、お菓子だけなの…と文句を言われてしまいました(爆)
母はいつもお彼岸に、必ずおはぎと天ぷらを作ってお膳を仏壇に供えていたので、引っ越しも一段落したのがわかっていて、期待されてしまったようです(^^;)
こんな事があると「本当に生きてても死んでても変わんないな〜」と嬉しく思う一方呆れます。
それでも、両親が亡くなって、短期間ではありましたが、非常に特殊な時間を過ごしました。
それはあたかも亡くなった両親がポータルとなって、死の次元の恩寵が私にまで流れ込んでいるような具合で、それはそれは素晴らしい至福に包まれている、そんな感じだったのです。
致命的な喪失感と至福の共存という、本当に不思議な、それまでは片鱗さえも経験したことがない特殊な時間でした。
かけがえの無い存在を見送る、それは本当に貴重で、これ以上ないほどの意義深い人生の体験に違いありません。
最後にバシャールの動画を貼り付けておきますね。
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