マジでどこでもできるナマステ瞑想?
ご存知の方が多いと思いますが、「ナマステ」はヒンディー語の挨拶であると共に、「あなたの内なる光に敬意を表します」という意味があります。
ここのところあれこれ頑張りすぎて、おまけに好きなことや得意なことだと、集中力マックス、いくらでもやっちゃう!みたいな不健康な傾向があるため、気づいたら自律神経系がダウン寸前…
そうなるとめっちゃ気分が悪くなり、体は疲れていなくても、重い疲労感は抜けないし、睡眠の質は下がるしで、負のスパイラルまっしぐらです。
で、もうほとほとうんざりして、こちらでもご紹介したカタカムナを聴き始めたところが、ふっと重苦しい雲間から光が差し込んだかのような感じで、この体の状態、というか神経系の疲労からくる不快さに、そんなに真面目に付き合う必要ないわ、と正気に戻れました。
これは拒絶やスルーではなく、こうした自分の状態をありのままに受け入れて、それでいいことにする、つまり愛です。
本質的な意識に繋がってそちらをメインに、日常的なアレが嫌、これが不快、疲れてもう何もしたくない、どうにかしろ!みたいな気持ちを踏み潰さずに、そっと持っとく、みたいな感じでしょうか?
そんでもって、日常が多少おかしなことになってもいいので、本質的な意識に可能な限り止まることに決めました。
カフェで一服したかったので、チームミルスに心底ゆっくりできるような席をお願いして行くと、緑の風を感じられる良い席がお待ちかね。
気を良くして、お気に入りにカスタマイズしたカフェラテを啜りながら、ふと、道ゆく人たちに心の中でナマステと声をかけ始めました。
当たり前のことですが、ご本人が気づいていてもいなくても本質の光はそれぞれお持ちで、ただ、こちらが声をかけた途端、はっきりしたリアクションが返ってくるのには驚きました。
究極の一なる本質に繋がっている光なので、容姿などとは比較にならないほど似通っているものの、やはり個性があって面白かったし、どんなに暗い顔をして歩いている人にも、その光を感じることはできました。
勿論、若くて元気で、学校帰りに大声で騒いでいる学生さんたちの光の方がパワフルでのびのびとはしていたし、足を引き摺りながら歩いていた高齢の男性の光は、もうほとんど故郷に帰りかけているようなエネルギーの弱さではありました。
それでも皆、無限と繋がった素晴らしい光を宿していて、なんだ、神社に行く必要ないじゃん、神様だらけやん!と、カフェのベンチで胸が痛くなるほど感動しておりました…
とさっ(^^)
- 何でもなくて天国な日常
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