そして、戦争が終わった…
少し前、瞑想の後だったか、ただお茶を飲んでいた時だったか、ソファでゆっくりしている時、ふと考えがまとまりました。
人間関係で散々ひどい目に遭ってきましたが、いわゆるアダルトチルドレンで、生後1歳で既に自分を鎖し、自己表現もできず、本質的に人を信頼できなかったりと、良好な人間関係を妨げるようなエネルギーブロックを持っていましたから、それはもう教科書通りです。
そうしたエネルギーブロックは、次々とネガティブな現象化を達成し、傷を深掘りして、年を追うごとにひどい目度が上がるよう。。。
しかも、そうしたエネルギーの法則について学んだのがうんと遅くて、しかも話がわかったからと言って、即座に自分自身を変えることもできず、本当に辛かったです(;;)
ただ、法則が理解できれば相手を責めたり恨んだりが無くなる分、随分マシで、責めたり恨んだりというエネルギーは持っている方が辛いですからね。
自分自身の辛くて深い傷が、またしても現象化しましたか…となれば、相手を責めるのは無駄というものです。
その人は、私の傷が投影されただけで、私自身にそのようなエネルギーの持ち合わせが無ければ、私を傷つけようがなかったし、そもそも縁が無かったでしょう。
だから責めるのはお門違いというものです。
また最近、ようやく理解が進んできて良かったと思っていますが、中には全く悪意も無く、一番言って欲しくないようなことを言ってしまう発達障害を持つ人たちもいます。
母がこれで、私は幼い頃からひどく苦しみました。
最晩年になってしまいましたが、発達障害であることがわかった後は、本当に救われました。
幼い頃に培ってしまった愛してもらっていない、という傷が癒えるわけではなくても、一緒にいるのがとても楽になり、母との関係も良好になりました。
脳の微細な障害が、発達障害程度ならともかく(発達障害でも、程度によっては本人や周囲の人たちは鬱病などの二次障害につながることもあります)、犯罪レベルに結びつく可能性が高いという研究を読んだことがあります。
記憶なので正確ではないかもしれませんが、少年院での調査で、普通に物が見えていず、その歪んだ視力では漢字も読むのが困難で、学校の勉強にもついてゆくのが難しい少年が多いと。
このハンディを負っている人たちを、単純に非難できるでしょうか?
寧ろ、事前に周囲が気づいて、必要なケアをすることが必要ではないでしょうか?
単に未熟で、この人生でも、あるいは転生回数でもが平均レベルよりもうんと経験が少ない場合もあります。
はいはいをしている赤ちゃんに、なんであんた立って歩かないんだよ!と怒ったら、怒る方が人非人ではないでしょうか?
そして全ての経験は、それぞれの人があらかじめ選んでいます。大事なら大事なほど、念入りに選んで地球に生まれてきています。
というわけで、非難も批判もナンセンスだし、戦うのはもっとナンセンスです。
ノーを言わないというのとは違いますよ、誤解のないように。。。
以前からなんとなく思っていたことばかりでしたが、この日この時、突然、全てがまとまりクリアーになりました。
勿論、人間として、嫌なことがあれば悲しかったり腹も立つでしょうが、もう戦うことは本当にないだろうな、とはっきり感じたのです。
言いようのない静けさが広がりました。
今年の1月11日のことです。
111
私の終戦記念日です。
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