お祝いの筈が…
一昨日、引っ越しのあれこれの最後の作業が終わり、昨日はとっておきのシャンパンを開け、駅前のデパ地下ならぬSC地下で買った、売れ残りか何かでしょう、セールになっていたフォアグラとキャビアのセットをのせるのに米粉のバゲットを解凍して、あれを食べてこれも食べて(^0^)などと考えていたのですが…
しばらく続いていた消化器の不調が、突如悪化(@@)
最近、休肝日も入れずにワインを飲み続けたり、食べ過ぎもあったかもしれません。夏もきつかったし、体にはえらく負担がかかった後で、じわじわとXデーが近づいているのに、気づかなかったって鈍感すぎ。。。
しかしまあ、ぱあっとお祝いしましょうね、というその日にね、ご馳走が食べられないどころか、ほぼ絶食で寝たきりです。
実は一週間ほどきつい鬱が出て、と言っても、家事ができる程度なので、元鬱病患者からすれば大したことでもないのですが、苦悶感が出たのには参りました。
何もかもが嫌で嫌でたまらない!みたいな感じなのですが、実は、嫌なことなんて一つもありません。強いて言えば、私のエネルギーに呼応して鳥が騒ぐのが神経に障る程度です。
過労からくる神経系の誤作動だと解釈したのですが、やはり途轍もない苦行を経験した友人が言うには、長らく経験していた感情はそう簡単には抜けないと。
じゃ、浄化しなきゃ、ね。
体にも色々出ていて、ここ一月ほど、日替わりであちこちに結構な痛みが出て、うち一回は肺から空気が漏れ出した可能性が強く、いずれも病院に駆け込むような症状ではなくても、体調の悪さは認めざるを得ませんでした。
それでも、ひとしきり鬱が出た後意識が切り替わり、例の「全てを忘れて神の前に立ちなさい」の延長線上でしょうか、「私は明るい純粋な意識です」とハートが言い始めてから、なぜかひどく清々してしまい、今に至っています。
ハートが言うクリアーな意識とは、一切の属性を離れて、本当に何も持たない、つまり一切合切から自由で透明な意識ということです。
地球に生まれた日本人の誰それなんていうことは勿論、シリウス出身の何某とか、どんな経験を積んできたかも一切なし。
「今ここ」のさらにその奥の「今ここ」、という感じでしょうか。
楽だわ〜…
2019年の母の死に始まった怒涛の季節が終わったそのお祝いが、完全ダウンの日になってしまったものの、意識が変わったためでしょう、平和に満たされています。
「私は明るい喜びの意識です」とか「私は明るい至福の意識です」など、バージョンは色々、頑張って意識のフォーカスを変える必要はなく、瞬きくらいの労力で済みます。
恩寵のようですが、この意識でいると何も外側のことは気になりません。
先ほどから今度は軽いぎっくり腰で(ほんとにもう笑っちゃうわ)サポーターを巻きました。
当分この体の反乱が続くのかもしれません。
それでも純粋な意識でいることができれば、ノープロブレム。
この意識が日々補強されて、盤石となるサポートをガイドにお願いしました。
さて、どんなになるやら(^^)
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