奇跡のような錆取りの記録
最近、その錆び取りを途轍もない密度でやって、ほんの数年でものすごい変容を成し遂げた人の本を、大変面白く読みました。
カースティン・バクストン『とある神秘家との結婚』(堀田真紀子・和泉明青訳 NATURAL SPIRIT刊)です。
とある神秘家とは、デイビッド・ホフマイスターで、「奇跡のコース」を世界中で教えているマスターです。カースティンの記述を読む限り、解脱した人のようです。
これは厳しい…
こちらも解脱していたり、お掃除がほとんど済んだ状態なら平和でしょうが、手当てをしなければならない物をたくさん持っていたなら、いつも一緒にいる相手が尋常でなくクリアーな鏡として機能するわけで、たまったものではありません。
勿論、彼は愛情深く卓越した教師でもあるので、得難いサポートもたくさん与えてくれるものの、ものすごく先を進んでいる相手に引きずられるようにして、付いて行かなければならないのは、根性が要ります。
自分自身の苦しみやその元となるエゴやエネルギーについて、正直に書かれていることにも敬服しますが、断続的な魂の闇夜のような毎日から逃げ出しもせず、時に休息を挟みながら、集中的にやり通してしまったことには、敬意しかありません。
また、まだ錆び取り=統合=浄化がルーティーンにまでなっていなければ、どんな風に日常を使って作業をするのかが、具体的によく理解できる格好のガイド本になるでしょう。
ただ「奇跡のコース」のバイアスが100%なので、「赦し」とか「ホーリースピリット」などの馴染みのない概念に引っかかったりはしますが、本質は禅などと同じかと思われます。
そもそも本書にも「奇跡のコース」にも、「解脱」などという言葉も概念も出てきませんが、デイヴィッドがいつも朗らかに幸せで、揺らがないその姿からは、白隠禅師がとんでもない誤解や非難の的になった際も、穏やかにただ「ああ、そう」といつも通りに云うだけだったという逸話が思い出されます。
そして、形ある全てはただ自分自身の鏡に過ぎないと云う鏡の法則が徹底して尊重される、それが一番私の好みに合ったのかもしれません。
相変わらず、矛を交えて相手を打ち倒そうとしているかに見えるこの世界には、戦いたくなる自分自身の恐怖をまず見て、それを癒すことで平和を創ろうとしている人たちがたくさんいるということ、それは確かな希望ではないでしょうか。
- ご本
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