努力癖
傍から見れば、多少ごちゃごちゃしていても、世間の目に立つような毀誉褒貶も無い普通の人生かもしれませんが、両親には、それぞれ別々の機会に「苦労ばっかり多くて可哀想だ」とポツリと言われたことがあります。
以前、何かのアンケート結果で、人生を振り返って楽しかったことと辛かったことの割合、というのを見て、ひっくり返りそうでした。
楽しいことの方がずっと多い、辛いことは忘れちゃうから、というのが大半だったから。
ものすごく違和感がありました。
主観的には、どんなに基準を緩めても、楽しかったことは2割に届かないです…延々忍耐するのに慣れている分、実際は1割も無いのかもしれません。
途中で完全に行き詰まり、これ以上生きられないところまで来て、ようやく方向転換し、自分を癒す作業も始めました。
それでも、アストラルボディ(感情体)に蓄積された痛みをぜええんぶきれいサッパリというわけにはゆかず…今回の転生分だけじゃないしね。
しかも東北大震災に引続く両親の入退院など、さらに極め付けの煉獄期間まで加わり、新たに大量の痛みを溜めたのを浄化してたってね、早々には終わりません。
これが肉体次元に降りて現象化したのが、腸の異常です。
腸は痛みのエネルギーを溜めやすい臓器で、合わない食品だか、真菌だかで腸壁が痛んでしまったって、エネルギー的にはまんまです。
これを放置して何もしなかったら、もっと重い病気を作り出したかもしれません。
今回、この痛みとエネルギー的に直面したことで、莫大な恵みがありました。
努力すればするほどもっと楽になるだろうと思って、前半生は死ぬほど努力しました。
その後は反省して、自分を愛して大切にするようになりましたが、義務を優先するという構造はそのまま。
身を削るような辛い努力は自分への愛に背くから、と止めた筈が、休んだり楽しんだりすることはいつも後回しになりがちで、なんでもきちんと致しましょうと結局努力していたかも。
うまく行くわけないじゃんっ!!
努力や責任を優先(=フォーカス)していたら、いつまでたっても努力しなければならない事や責任がどこからとも無く湧いてくる現実になっちゃうでしょ。
自分で必死に努力しないと望ましい物も事も手に入らないという、役立たずな妄想は、さっさと捨てないとね。
という事で、楽しみや喜びの方を選択することに決めました。
ただ還暦近くまで努力して、努力してみたいな努力癖がしこっていると、努力をしない努力になってたりして。。。
まあ、完全にこの構造が落ちるまで時間がかかるのは致し方ないので、落とそうと力むのではなく、喜びや楽しみを見つけ出し、それを優先する努力!にすり替えることにしました。
ハハハハハ
ヽ(´∀`)ノ
あ、努力して何かを達成するのが無意味だと言いたいわけではありません。
重い次元でないとそんな貴重な体験はできないので、まだ充分堪能していない、やってみたい!と思う場合は是非。後で後悔することは決してないでしょう。
それぞれの魂が、それぞれの人生で経験したいことは違います。
魂がしたいと思い描いて来たマップに沿った人生を生きられれば、常識的にはどうでも、そこはかとない深い満足感がそれと教えてくれるでしょう。
なんか、これでいいんだ…と感じられるはずです。
感じております
(^-^)
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