枝を飛び移ってゆくんだよ
昨日ご紹介のスクラントンさんのチューニングを聞きながら、超高層ビルのエレベーターに乗ったかのように、一気に波動上昇の気流に押し上げられたのを感じましたが、その時何かのスイッチが入ったのでしょうか。。。
その夜だったか、瞑想の準備運動:エネルギー調整をしているうちに、また同じように高みへと一直線に昇ってしまい、あ、あたしは、重いエネルギーを手放すワークをしたかったんだけどな、と思いつつ、予定にこだわる必要もないかと、燦爛する光の中で、そのクリアーでキラキラなエネルギーを楽しんでいました。
幼子に戻ったようだと感じるままに、小さな子供になってしまい…ただ袋を縫ったような質素でシンプルな白いチュニックを着ていて、誰か輝くような美しい女性に抱き上げられたかと思うと、それは愛そのものを表現しているような聖母マリアでした。
私は軽々と持ち上げられ、今度はジーザスに手渡されました。
「この子をもっと高みへ持ち上げてちょうだい」と彼女は歌うように言い、ジーザスは受け取った私を大きな木の前まで連れてゆき、少し高いところにある大きな枝に両手でつかまるように促されました。
やれやれ、このスパルタ教師は、ここで死ぬほど懸垂しろってか!?とビビりましたが、外れ。
ほっ…
でも、その枝になったかのようにシンクロしろと言われて、やっぱり引きました。
だってね、その枝に固定されちゃったら金輪際動けないじゃない!
「いやいや、一旦この高い枝にしっかりシンクロした後は、もっと高い枝へとシンクロするのだ。そうやって枝の間を飛び移りながら、波動を上げてゆける。瞬間的な意識の切り替えで移動できる」
大木は、おそらく私自身の意識レベルの高低を表現していて、その枝は、そのレベルでの足がかりというか、意識のフォーカス点なのかもしれません。
この重い物質の世界で、線状の移動に慣れすぎてしまい(=全てに過程が存在し、時間がかかること)、意識の切り替えで平行現実、さらに次元間をも意識的に自在に移動するという、この地球の時空に入るまでは当たり前だったことも、忘却の彼方です。
でも、ジーザスの説明でちょっと思い出せたかも。
世界のエネルギーが軽くなってくると、こういう軽業も必須になってくるのでしょうか?
重い世界は不自由でとっくに飽きてますが、う〜ん、新しいというか、思い出せないほど古いスキルに慣れてゆかなきゃいけない時期のようです。
まあ、慌てることでもないので、ぼちぼち。。。
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