苦しむことへの恐怖
十年以上自分の内側を整理し続け、常に意識の上で、必要があれば意識下でも、起きていることを見守って来ました。
あれこれ不要なものを徐々に削ぎ落とし、削ぎ落とし、削ぎ落として、かなりクリアーになって来た頃、恐怖の棚卸しをしました。
何が重いと言って、恐怖くらい重いものはありません。
でも、ごく最近まで、この世界の通奏低音は恐怖のエネルギーでしたからね。。。
何か問題が起きる時、根っこを探ってゆくと最後に顔を出すのが恐怖です。
何が怖いのか、それを本当にクリアーに見ると、驚くほどあっさりと答が出ることが多いです。
恐怖の正体がわかっても、中にはそれだけでは解決できないこともあります。私自身、最後まで苦しむことへの恐怖を手放せませんでした。
半世紀以上にわたって苦しみ続け、時にはもう生きていられないと感じるようなことすらたびたび…その傷の深さと大きさが癒えない以上、手放せないかと思いました。
でも、それは違いました。。。
弁証法の正反合で、マインドの次元では、苦しみへの恐怖と恐怖の存在しない安らぎとは相入れませんが、もう一つ次元を上げる事で統合が生じます。
それは、本質の次元に意識をチューニングする事でしか解決されません。
巨大地震の可能性を思う時、肉体のルーはビビリまくりだし、Lさんも不安を感じます。でもリユーシャは、たとえひどい被害が出たとしても、その結果、人も建物も街も一層丈夫になるだけだ、と落ち着いています。
今回のパンデミックですら、ポジティブな面を見ようと思えばいくらでも見られます。
真実はポジティブ・ネガティブの双方であり、リユーシャのレベルでは恐怖が存在しないので、その双方を見てそのまま受け入れることができます。
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