欠如感の欠如
一昨日までの続きです。
今は、このパーソナリティには肉体と同じくらい距離を感じます。
正直なところ、もうLは自分だと100%思えないので、心の中で考えている時も「Lさんは大変だなあ」みたいに、無意識に敬称をつけちゃったりします。
肉体のルー+パーソナリティのLさんが今生のボディで、それとは別に肉体の着脱には影響を受けない永遠の本質が存在しているのです。これが、あちらではリユーシャと呼ばれている実体です。
Lさんはフツーの人間なので、疲れを溜めたり、親が帰っちゃったりすると、めげたり憂鬱になったりしますが、そういう時はリユーシャに意識を合わせ、Lさんは休ませてやるなんてことをするようになりました。
まだ本質にも十分着地していないので、行ったり来たりですが、意識的に往復できます。
本質シェルターに避難するコツを覚えたおかげで、この人生どれだけ楽になったかしれません。
そしてこの本質は、必要なもの、望ましいものすべてを持って永遠に安堵して満たされています。
そのエネルギーに浸っている時、完璧に幸せです。
こうして日々簡単にエネルギー補給できるせいか、以前のようにあれが欲しいこれが欲しいというのが無くなり、なんとな〜く、そこはかとな〜く満足しているような感じです。
あれやこれが足りない、あるいは何かわからないけれど足りていないという欠如感は、この世界の基本的な生活感情と言ってよく、その欠如感が存在しない毎日というのがどれほど楽かは、実際に生きてみないとわからないかもしれません。
魂の本質には、この欠如感が存在しません。
逆に欠如感を味わいたくても、無理です。
だから、この世界に来たのでしょう。
と、今は腹の底から納得できます。
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