失恋してました
息子さん宛てのメールを送信した翌日、まだ解約せずに置いてある父の携帯が鳴りました。
ナンバーを見ると国際電話で、とってみたら、やはり父の友人からでした。
朝、ファックスが来てね(息子さんが私のメールを送ってくださったのでしょう)、読んだら、涙、出ちゃってね。。。
四十年来の付き合いで、日本にただ一人残っていた友達だったからね。。。
コロナが無ければ、3月に来日される予定だったそうで、最後に会えなかったと、とても残念そうでした。
最期は安らかだったかと聞かれ、急激に悪化した後はお医者様が麻酔を調節してくれたので、一つも苦しまずに逝きましたなどと話しているうちに、二人で泣いてしまいました。
今は辛くても、これからはずっと幸せに生きていてくださいよと何回も念を押すように言われると、まるでもう一人の父が励ましてくれているようでした。
電話を切った後も涙が止まらず、また混乱が始まりました。
パパね、韓国のキムさんから電話があったよ、
会えなくて本当に残念だったって。。。
と話しかければ、父に通じているのもわかるし、顔も見えたりしますから、死んじゃったとは全然思っていないわけです。
でも、どうして悲しい!?
しばらくして、ようやくわかりました。
失恋したのとおんなじ!
相手はまだ生きていて、コミュニケーションしようと思えばできなくもないけれど、もう人生をシェアする可能性は無くなったわけで。
父が老人ホームに移ってから、毎週頼まれたものを届けに行くついでにお弁当を持参して、二人で食べました。
もう既にこちらもひどく具合が悪かったので、手作りできず、駅前の大戸屋のお弁当でしたが、揚げ物とか大好きな肉食人だったので、ロースカツ弁当などを持参すると、すごく美味しいと言って嬉しそうに食べていました。
父はいつからか鬱屈するような感じでしたが、私の訪問だけが楽しみだと言って、私自身体がひどく重くて面倒な時もあったものの、父との週一の会食(とは言えないなあ)は楽しみでした。
次の祥月命日には、大戸屋のお弁当を供えますかね(^^;)
きちんとしたお葬式ができないことを伝えた際、いつもの調子で「いいよっ」と言い、ちょこちょこたくさん供養してもらいたいとのことでした。
父の日も催促されているようで。。。
ようやくマインドが状況を理解して呑み込めたので、これからは悲しみがこみ上げても、シンプルにきちんと受け止められるようです。
失恋したのがわかってほっと安心するって、この人生、やっぱり可笑しいわ(^^)
- 楽しいお葬式
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