どうしようもない時は、受け入れる愛がある!
執着は本当に厄介です。
おそらく私たちは別の転生でも、今生でも、失いたくないものをゴマンと失った経験を蓄積していて、その痛みが集合意識にも、自分自身の潜在意識にも染みついているのでしょう。
両親双方からの一人っ子に対する執着で散々苦しみ、親の子供に対する執着に対しては相当うんざりしているにもかかわらず、種違いの羽の生えた息子への執着が止みません。
最近はどちらが子供なのかわからないようになっているので、もう何でもないですが、「感染したらどうするんだっ、外出は止めなさい!」と電話口の向こうで吠えているお父さんを「どうどう」しながら自分を振り返れば、もし私がウィルスをこのウチに持ち込んだら、種を超えて感染する病気でこの鳥は命が無いかもしれない、何としてでもそれは避けたいなどと思っていますからね。おんなじだったりして?
他のウチの方がいいから、他の人の子になりたいから、と本人が選択して泣く泣く養子に出すならまだしも、早死にだけは勘弁してほしい〜(;;)
などというのが本音で、最近も、この執着に根を持つ恐怖に綱をつけ忘れて、ひどく振り回されました。
実際にXデーが来てしまったら、いつまでもしがみつくことはしない筈で、思ったよりも簡単に乗り越えられるかもしれません。死ぬのは肉体だけだとよくよく知ってもいますし。。。
そう、この予期不安というか、幻想、妄想こそが恐怖の実体で、覚悟を決めて体当たりして体験することでしか、その霧を晴らすことは出来ないのかもしれません。
それまでは、手放してはまた新たに作り、みたいなことでしょうが、マイケルのように徐々に執着を薄めてゆけるかもしれないし、あるいは人間の性、親の宿命、と受け入れて、それを超えられない未熟な自分をそのまま愛することで、最大限毒を薄めることが出来るでしょう。
つまり、自分も含め、周囲もそんなに不愉快にならずに済む筈です。
一番大切なのは、自分が執着というエネルギーを持っている、その根っこは本当は実体の無い恐怖だということをしっかり見ておくことで間違いありません。
そうすれば、後はどうにでもなります。
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