満ち足りる
ハートの光と常時接続したか何かで、内なる完全性のような本質をいつでも感じるせいか、以前はどんなに頭で幻想だ!と思っても、何かしらの欠如感が重い足枷になっていたのが、今は欠如を感じることの方が困難になりつつあります。
欲しいという欠如感に苛まれているのが苦しいので、それが無ければ、ね、満足していられるでしょ?
内側が満たされている時、外界の豊かさは望まなくてもやってくるのは教科書通りで、その豊かさはあらゆる方面にわたります。
例えば、無駄が出ない、や、全てが神業級に調和していてスムース、というのも現実的な豊かさのアスペクトと考えることもできます。
お蕎麦屋さんでのムフフフフ!のエピソードもそうですが、欲しいと思ったらすぐ来るシンクロだけでなく、奇妙なほどピッタリ無駄がなかったり、スムースで時間がかからないというシンクロも多発状態です。
先日も、シニアホームのショートステイから、体調が悪すぎるのでそのまま正規の居住に切り替えた父から、細々とした物をたくさん言付かって、実家から大きな袋で運んだところが…
父が頼まなかった物まで持参して、「あ、それ買おうと思っていたんだ、助かった、助かった」などと喜ばれたほどだったのに、ただ一つ、奇妙にもうっかり忘れたものがありました。
果物ナイフ。
ところが、その日、正式な契約書を交わす段になり、一切の刃物が持ち込み禁止なことが分かりました。
それぞれはちょっとした事なのですが、何もかもがとてもスムースで、前とは全然違う。。。
これだけ急激にエネルギーが変わっていて、本当は奇妙なことでも驚くことでもないのですが、やはりまだ慣れていないせいか、いちいち「へえ!」(@@)などとびっくりしたりします。
あちらから見ると「ダッサ〜」、あるいは「可愛いねえ」なのかもしれませんが。
しばらくは、こんなあんなで日常が楽しめそうです。
- 何でもなくて天国な日常
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