安心 by マイケル・ローズ
不安で不安で仕方がない時、こんな事を言われても辛いかもしれませんが、これが真実です。
安心に限らず、何かを切望する時、それは手に入りません。
鏡の法則です。
たとえ手に入っていなくても、手に入るとわかっている物事を切望することはないですよね。
手に入ると知っている、そう感じていなければ、それは現実化しないのです。
安心も不安も、同じエネルギーのハイエンドとローエンドに過ぎません。
安心/不安の次元を超越した、信頼し、全てを委ねる波動にとどまることで、安心とはまた別の完全無欠の「安心」を手にすることができます。
マイケルローズJAPANのブログより転載します。
内なる安心についての質問に
安全・安心を考えるとき、二つのとらえ方があります。
まず一般的に、それは「所有」について、です。
財産、土地、家、金銀、投資、保険などです。
このことで異を唱えるつもりはありません。
ただ、経済的な安全は、その基盤がしっかりしている間だけ、有効です。
そこが崩れると、たちまち不安になります。
経済的に安全、それで本当に安心でしょうか?
それとも安心という幻想のもとに生きているのでしょうか?
人生は偽りの幻想を打ち砕くプロセスです。
そうすることで、私たちを人生のより深い意味へと向かわせてくれます。
では、つぎに「内なる安全・安心」とは何でしょう。
それも幻想です。
私たちは、原因と結果、そして二極性の現実に生きています。
原因と結果、そして二極性は、日々の暮らしで私たちが用いる素晴らしい教材です。
原因と結果については説明しなくてもよく知っているでしょう。
二極性はもっととらえにくいものです。
感情には対極があります。喜びと悲しみ、平安と怒り、心地よいと悪い、まだまだたくさんあります。
安全・安心と不安定・不安も、です。
安定と不安定は感情がベースにあります。
安全・安心は私たちが感情的にもっとも必要とするものの一つです。
そして、誰も不安は求めません。
安心を求めます。
このことが不均衡を作り出します。
感情は安全・安心をつよく求めます。
ですが、魂は内なる成長を求めます。
安全・安心は停滞をもたらし、内なる成長は広がり、豊かさをもたらします。
ですから、安定・安全への願望は、魂が必要とする成長と対立しているのです。
もし、安全を手放せるなら、(安全・安心は恐れがもとにあります)幻想そのものが、あなたの人生から取り払われるでしょう。
そうすると、あなたは、人生のあるがままを受け入れ、安全を求めることもなくなります。
そして、あなたはこれまで経験したことのない「まったく未知の平安」、真の平安へと向かうでしょう。
愛はこのすべてに関係します。
愛には、必要性も、恐れも、欲望もありません。
意識して愛を選ぶ、それは自由への道です。
いつも意識して愛の選択を!
日本語訳 大亀安美
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