スピリチュアルのよいところ by メタフィジックス通信
これ、すごく共感!
長いので、途中のみメタフィジックス通信より転載します。
私のアウェイクニングの話 その41
スピリチュアルのよいところ
「スピリチュアルで幸せになる」なんてフレーズは、よく見聞きする。でも、欲しいものを手に入れるとか、願いを叶えるだけなら、スピリチュアルじゃなくても問題ない。
私にとって、スピリチュアルが世の中に役立つと思うことは結構あるのだけど、一つは「答えは一つじゃなくていい」という気付きだ。
スピリチュアルでは、あらゆる宗教の神々や聖者を同時に認めるし、宇宙人も天使も妖精もユニコーンも、なんだってありだ。どれか一つだけが正しいということはないし、見方を変えれば、すべては同じソースの別の現れだと言うこともできる。3次元や5次元とは、単に順番であって、優劣の話じゃない。多次元的であるということは、あらゆる次元を同等に評価するということだと、私は思っている。
スピリチュアルは、誰もが違って、それでいいのだと気付かせてくれる。私たちには、それぞれの学びと役割があり、みんながその時のベストを尽くしているだけで、本質的には誰も間違いじゃないし、失敗でもない。あるがままの自分を無条件に愛すると言うことは、自分を誰かの上にも下にも置かないということだ。
価値観は、人や地域や国、時代によって異なる。どれか一つが絶対ということもない。私たちは常に変わり続けるエネルギーだ。バイブレーションがアップダウンするのは、ごく自然なこと。そして大切なのは、その時の自分にとって心地の良いバランスポイントを見つけることだ。
みんなが、自分のスピリチュアルの道のりを歩んでいる。道をどのように歩もうと、誰もが痛みや悲しみを経験し、愛や自己実現を求めている。そう気付くとき、他人の中にも自分を見る。私たちは、相似形だ。そうしてはじめて、私たちは、一つなるものの別々の表れとして、同じソースからやって来ているのだと実感する。
世界は役割分担だから、今の自分にできないことは、必ずしもする必要のないことだったりする。できるときに、できることをすればいい。自分に厳しく当たるのは、いつも自分自身であって、宇宙的には、誰もが最初から愛されていて、許されている。肩ひじ張ることは無いと気付かせてくれるのも、スピリチュアルのよいところだ。
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