スイッチオン!
人間だけでなく、土地も強制浄化みたいなことになっていますが、惑星規模のこの特別なエネルギー状況なのでね。。。
感情という水のエネルギーの氾濫を個々人でどうにかしないと、これ、終わらないです。きっと。
東北大震災から8年、あの時は半年くらいノイローゼ状態で、両親が交互に入退院なんてのが始まらなかったら、もっと長期化していたかもしれません。
中途半端な距離から被災地の情報を得ている、というのが、実は一番精神的に悪いということを、ある本を読んで知りました。
地震もひどければ、原発はまたとんでもなくて、私も放射能に関しては直接間接の影響は受けたものの、かけがえの無い存在、あるいは何もかも失うみたいな被災とは桁が違いました。被災地の情報は入ってくるものの、それはメディアのバイアスがかかっているだけでなく、実際に体験するのとは全く違うことでしょう。
そんな時に見つけて読んだのがレベッカ・ソルニット著『災害ユートピア』(高月園子訳 亜紀書房刊)でした。
悲惨な災害の最中、人間の愛に満ちた本性が顕わになる。
市民同士が互いを思いやり助け合い、無償の奉仕や与え合いが至る所で見られる。穏やかな日常の中ではバラバラで孤独だった個人が一つにまとまり、奇跡のような非日常のユートピアが出現するという丁寧な事例解説のノンフィクションです。
実際、東北大震災の時も、本当にハートが開いていないと見られないような輝きを宿した目で、自分も被災者なのにボランティアを組織して避難所の運営にあたっている方々や、制服の襟元からシャツではなく、カラフルな普段着らしきTシャツが少し見えている郵便配達のお兄さんが、満面の微笑みで「これを待っている人がいる、なんとしてでも絶対に届けたいんです」と、瓦礫の中をバイクだか自転車だかで回っている様子などをテレビで見て、確かに悪いことばかりではない、と思った記憶があります。
そして、私自身、今年4月に母を亡くして、以前から頭を抱えるような惨事になると思っていたドタバタを経験して、やっぱり実体験は全然違う!と思い知りました。
母が亡くなる前日まで体調不良がひどすぎ、これから母を病院に連れて行くという父が「お前は来なくていい、お前の方が大事だから」と電話で言ってくれた時は、心の中で手を合わせていました。
ところが…
翌朝、母のあっけない死の報に接して飛び上がった瞬間に、スイッチオン。
4月ということはガイドから聞いていて、こんなにひどい体調で思うように動けないのにどうするんだか〜(;;)というのが正直な気持ちでも、心配するのは毒なので、考えないようにしていました。
ところが、病院に行って遺体を引き取るとか、葬儀社との打ち合わせなどという火事場が始まると、普通以上に元気も出るし、頭もまわるしで、今日こそは体力温存のために寝坊をと思っていても、決まって朝っぱらから親戚の誰かに電話で叩き起こされ(係累多過ぎ)、睡眠不足でふらふらな筈なのにちゃんと動けました。毎晩睡眠時間2、3時間で1週間かそこら生き抜いたなんて、この人生で初めてでした。
ほぼ同時に天皇家の代替わりで、長く療養を続けていらした雅子妃が、まるで何でもなかったかのように、輝かしい笑顔で手を振っていらして。。。
その時はまだよくわかりませんでしたが、自分の経験から類推するに、雅子様もスイッチオンなのではないでしょうか?
何か自分の限界を軽々超えるような事が起こる。。。
その時こそ、きっとチャンスなのです。
限界を超えた分は、あちらからのサポートが入ります。
そうじゃなきゃ、できっこないことがたくさんありました。
何があっても大丈夫、本当にそう思います。
それも中途半端に大変なのではなく、マインドが降参するくらいの一大事の方が寧ろ大丈夫なのかもしれません。
マインドがグズグズ言うような余裕すら無く、完全にお手上げした空隙を縫って、天使のマイティパワーが流入して来る、そんな感じがイメージできるでしょうか?
スイッチオンの奇跡は、伝統的には火事場の馬鹿力とも呼ばれてきました。
何が起きても大丈夫。
何も心配せずに、自分でできる備蓄など済ませたら、あとは幸せでいましょう。
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