真実とその表現
自分に正直でいることは、徹底して自分軸です。
他の人に自分自身の真実を受け入れてもらう必要はありません。
逆に「受け入れて欲しい」になってしまったら、それは承認欲求で、自分を自分で受け入れていない証拠です。
さらに、受け入れられないことがわかっている相手に対し、本当に必要な場合を除いて、自分の真実を無理に伝える必要もないでしょう。
この世界には、様々な価値観、信念、思考が溢れかえっています。それらすべてが完全にOKだという二元性を超えた感覚になるまでは、それぞれを握りしめて生きるのが普通だし、そうやって個別の信念を生きて体験することも、この世界ならではの貴重な体験です。
このようなごった煮ワールドでは、黙っているという選択肢があり、それは嘘をつくのとは全然違います。
虚偽のエネルギーはひどく重苦しいもので、それを作るのは本当に得策ではありません。エネルギーを感じてみれば、即わかります。
そうではなく、自分の真実を認めた上で、それが受け入れられない状況では表現を避けるといった、洗練された「自己表現」でよいのではないでしょうか?
マイケル・ローズが別次元の旅の最中、テレパシーが当たり前な世界で、時々「思考が漏れてるよ」と注意されるので困った、というのを読んだことがあります。
マイケルは最初困惑したものの、思考のダダ漏れを避けるスキルを会得したとのことで、これ、私も知りたい!誰か知ってたら教えてください!
まだこの世界では、表現されていない思考の管理まではする必要がありませんが、いずれそうなるでしょう。だってね、テレビやネットとおんなじで、流れていても受け取りたくない情報だってたくさんあるでしょう?
自分の思考でも端から光のゴミ箱に捨てるようで、いずれ、ダダ漏れ思考が公害扱いになる日が来るのかもしれません。それはそれで楽しみではありますが。。。
プライバシーを守ることや、双方の心地よさを守る洗練された自己表現は、正直でいることとは対立しません。
その時々でどうするか、自分自身に正直でいるクリアーなエネルギーなら、ちゃんと適切な判断ができるでしょう。
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