分離の幻想
先日友人と会った際、苦しみ続けて痛みを癒すすべも知らず、そのストレスを反社会的な行為として発散する人たちについてはわかるけれど、保険金殺人になるとね…というような話をしました。
あまりにひどく苦しみ続けると、段々それに怒りに加わり、やがて不調和な行為として爆発したりします。
私的に「苦しみボケ」と呼んでいる状態が、これです。
「欲ボケ」は欲に目が眩んで理性が働かない状態ですが、「苦しみボケ」は苦しみすぎて視野が狭くなり、理性や良心を失う状態です。
肉体的にどこかが猛烈に痛み続ければ、その痛みから意識を逸らすのが難しいし、精神的な苦痛からひどく消耗して、普段は温和で親切な人が、とても扱いにくくなったりすることがあります。それとおんなじ。
苦しみのレベルも、またそれをどのような形で表現するかも色々ですが、この地球上で「苦しみボケ」を経験せずに済む人は少ないと思います。
頭ごなしに善悪で判断してしまうと、共感の生まれる余地はないでしょうが、自分自身の「苦しみボケ」の延長線上に、反社会的かつ爆発的な表現をする人がいると考えると、共感レベルでの理解が可能でしょう
難しいのは、生育歴の問題などは想定できても、他人や動物を物のように扱って顧みない人たちを理解することです。
それでも、分離の幻想についての理解があれば、共感までは難しくても、わかることはわかります。
これも波動の問題でした。
波動が重く低い場合、分離の幻想がきつくなりますよね。分離の幻想がきつければきついほど、他の人や存在と繋がることができません。ワンネスの逆です。
目の前の誰か、あるは直接目にしなくても誰かが苦しんでいて、それが全く気にならないのは、良い悪いではなく波動の高低です。
逆に、波動が高くなれば繋がりの感覚から、決して会うこともないだろう別の国の人、別の民族、あるいは動植物でもなんでもの幸せが気になります。
道徳的な価値観からすれば、善悪の判断になりますが、それはこの世限定の価値観でしょう。
極悪非道から純粋な善意の奉仕まで、実は同じエネルギーの波動の高低差が現れているだけ。。。
これがようやくわかった時、とても楽になりました。
これもまた、素晴らしい解放でした。
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