昔、風になりたかった。。。
学生時代、今思えばそれでも随分楽だった頃のことです。
何か辛いことがあるわけでもないのに、窒息しそうな圧迫感に襲われたり、辛くて眠れず、深夜ベッドの上でギュウッと体を丸めて苦痛に耐える、などという訳のわからない苦しみ方をしていました。
乳児の頃から自分を押し殺して生きていたら、苦しいに決まってる。。。
今はこんなにシンプルでクリアーなことでも、当時は訳がわからないまま、いつも頭を重苦しい雲の中に突っ込んだような状態でした。
うんとこさ勉強して膨大な知識に通じればスッキリハッキリするかも…という希望的な観測は、残念ながら、完全に見当外れでした。
ある時、強烈な悲しみとともに「風になりたい!」という思いが込み上げました。
軽くて透明で、どこにでも自由に駆けてゆける風になりたい!
風の軽さ、光のような透明感、無限とも思えるような自由。。。
全てが私には決して手が届かないという絶望から、ひどく泣いたような記憶があります。
でも、
なんちゃって〜!
手が届いたか、少なくとも圏内。。。
瞑想中、遠くの工事の音や、飛行機の音が私を通り過ぎてゆきます。
まるで肉体が透明になったような気がする。。。
軽くて質量があったとしても、ほとんど実際の重みがないような。。。
音だけでなく、全てが自由に私を通り抜けてゆく。
何も引っかからない。
何も滞らない。
ただただ、自由に行き来しているのを、
ご機嫌な意識が静かに眺めているだけ。
風にならずとも、風のエネルギーを生きることは可能なのですね。
そしてまた重くなっちゃったら、重しが浮上してきているだけですから、それを愛に包んで宇宙のクリーニング屋さんに預けるだけ。。。
クリーニングがいつ終わるのかわからなくても、本質的に私たちは自由な風なのです。
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