本当の幸せ
チヒロなうで、時々並木さんたちが「私たちは幸せになるために生まれてきたんです!」と言うたびに、「そりゃ、違うわな」と思っていました。
でも昨日のブログでご紹介した16を見て、違わなかったかもしれない、と思うようになりました。
それまで自由にできなかったことができるようになり、望みも叶うし、欲しいものも手に入るようになって、と言うことなら、それはわざわざこのタイミングで地上に来た目的ではない、とやっぱり思います。
勿論、人それぞれのブループリントなので、そのような目的でいらした方もいらっしゃるでしょう。
でもMirus Clubでは、そのような望ましい日常になるのは「ついで」と言うか、当然の成り行きで、それ自体が目的ではないです。
ピカピカで整理されたエネルギーの整ったお部屋で過ごしたいと思い、せっせと不用品の処分に精を出し、毎日隅々まで家の掃除をしているうちに、むくみや贅肉が取れ、自分でもうっとりするような締まった体つきになったばかりか、代謝が上がって元気になったし、人間関係も良くなって、臨時収入まで入っちゃった…みたいな感じ(^0^)
具体的なラッキーはオマケで、目的だったのはエネルギー的にも問題のあった乱雑で汚れた居場所の掃除ってね!
エネルギー的なお掃除が済めば、本来の豊かさが妨げられずに人生に投影されます。
自分の内側が整って、日常が幸せになるのは当然なのです。
「本当の幸せ」は、外側には無いです。
私たちが幸せだと思う時、何をしていても幸せを感じます。
何をするかは関係ない、内側から溢れてくる幸せこそが鍵で、これなしに本当に満ち足りることはありません。
あれやこれやが欲しくてたまらない、それは対象を求めているわけではなく、自分の内側にある欠如感や不満、愛情飢餓が「満たして欲しい〜!」と泣いているのです。
こうした傷や不調和が、本来全ての人が持っている理由の無い満足感=無限の豊かさに分厚な蓋をしてしまい、満たされることなど無いかのように、外側にチラチラする物が欲しくなり、それを手に入れれば満足できると信じてしまうし、そう信じるようにと、この世界の一部は活発な押し売り経済活動を続けております。
この本当の幸せや満足に常日頃からアクセスできれば、それが簡単に物質化して人生に投影されるので、欲しいものはすんなり手に入るし、満たされている分、必要以上に欲しくなりません。
欲を否定しているのではありません。
ご飯食べたくなくなっちゃったら、マジでやばい(ブレタリアン以外は、ね)。。。
それでも、うう、まだ暑すぎる…ご飯、いまいちおいしくない、食べたくない。。。
順番は永遠に変わりません。
内側が先!
外側が後!
天界の兄、ジーザスが2千年もの昔に「まず神の国を求めよ」って、本当にそうおっしゃったかどうか知りませんが、わかりにくいですね。
でもジーザスが伝えたかったのは、人生の物質レベルのことは一旦横に置いて、まずは自分の内なる神性にアクセスするように努めなさい、あとは自ずと望みも叶うだろう、ということだったに違いありません。
しばらく前なら、まだ地球自体の波動が重すぎて、この内なる本当の幸せに常時手が届く人たちは少なかったと思います。
頑張って解脱しちゃった人とかだけでね〜!
でも、今は解脱せずとも、この光の地球に乗っけてもらい、「本当の幸せ」を垣間見るのも容易になりました。
そしてその無限の内なる光にアクセスし続ける意志を持つことで、自分の波動を上げてゆくこともできます=一層人生が楽になり、何でも実現しやすくなります。
み〜〜んな、圏内ですっ!
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