HSPですが、何か?
しばらく前から敏感すぎることについての書籍を、書店で見かけることが多くなりました。
敏感だったり、繊細だったりすることが辛くて生きにくいというニュアンスの見出しばかりで、違和感が先立ち、殆ど手に取ったことがありません。
HS(Highly Sensitive)って、すごく有難いと思って生きて来て、今もそう感じていますし、今後も瞑想などで、一層Sensitivityに磨きをかけてゆきたいと思っています。
目に見えない微細なエネルギーをキャッチできなかったら仕事にならないし、日常を生きてゆく上でも、高次の繊細な波動や情報を受け取れない…アウトです。
敏感な分、自分と合わない波動や、荒々しい波動に触れた時はとても辛いですが、逆に敏感でない人たちが感じ分けられない、日常に潜む美や快さを楽しめます。
春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて…
平安貴族にはHSPがわんさかいて、繊細な感性で季節のうつろいなどを寿ぎ、その美意識をもののあはれとして尊び、表現することが喜ばれていました。男性でも感性豊かに涙をこぼすことが自然だった。。。
そのDNAを持った人たちが、HSPって、当たり前じゃん。
極上のワインを普通のワインから味わい分ける味覚があり、雑に作られたワインを不味く感じることで、苦しむ必要はないです。
敏感な自分を喜び、愛して大切にするようにすれば生きにくくはないし、実際、生きづらいとは全く思いません。かなり幸せで満足です。すぐに疲れちゃうけれど、疲れたら休めばいいし、休む必要がある時にちゃんと休める環境に自分の人生を整えることができました。
敏感過ぎなくても、自分とは合わない人との間に健康な境界線を引けなければ、えらい目に遭うに決まっていて、それは敏感さの問題ではなく、境界線や自己愛の問題です。。。
ここでふと不安になり、「あたしはHSだとずっと思って来たけれど、実はそうじゃなかったりしてね」とチェックサイトに飛んで試してみたら、スコアは強度のHSでした。
「一人で悩まずに、カウンセリングなど受けてみましょう」という有難いアドバイスまでいただきましたが、全く悩んでおりませんのでね。。。
他にもいっぱいいる筈、HSでもフツーに幸せだったり、すごく幸せだったりする人たち。
いるでしょ?
これからの時代、HSでなければ新しいエネルギーの波を乗りこなせません。
じゃない?
HSでない人も、要するに強弱の問題で、能力はポテンシャルとして持っているので、訓練すればよいだけです。
霊能力と同じで、生まれつき華々しく開いているよりも、後天的に訓練した方がコントロールしやすく、能力に振り回されずに済みます。
HSだろうが、HSじゃなかろうが、生きづらさを抱えた犠牲者だと自分を定義してしまったら、救いを自ら閉ざすことになります。一番割の悪いことではないでしょうか。
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