昔話
昨日のブログで、チェンマイの学校時代の事を書いたついでに、色々思い出しました。
先生のキッチンから来るお昼ご飯(勿論、タイ料理!)を挟んで、文字通り山積みになっているミネラルウォーターをがぶ飲みしながら、朝から晩まで自分の部屋にこもってリーディングでした。
朝は迎えの車で市内から郊外の学校(兼先生の自宅)に行く間中、エネルギー調整をして、学校が夕方引けた後も、お気に入りのカフェの窓際席で、カフェラテを飲みながらリーディングの続き、そんでもって夜ベッドに入ってやれやれと目を閉じると、今度は勝手に暗闇にスクリーンが開き、白い牛なんかが出て来て「ついて来い」などとのたまう。。。(--;)
こんな事を一年近く続けてね、今思えばひどく贅沢ですが、あれ、生きるか死ぬかのお尻に火がついていたからこそ、できた事だったかもしれません。授業料もうんとこさ支払わなければならず、今だったら躊躇したでしょう。
その後も何年かえらくゴタゴタして、一回完全に壊れましたが、このとんでもない徹底した浄化期間だけで済まなかったのが、我ながらというか、自分人生ながらてんこ盛りすぎない?と呆れます。
ただ、この土台と、その後公私両方にわたっての経験があって、なんとか先の煉獄期間を潜り抜けられたような。。。
先生に教わったことの大半は、仕事をしているうちにどんどん自己流アレンジ、よく言えば自分のものとして使えるようになりましたが、24時間働けますか、じゃなくて、24時間リーディングできますかの毎日で見たものの中には、なかなかそう簡単には出てこないだろう結構なブツがたくさんありました。
今もまだ左肺にしこっている深い喪失感や悲しみの大元も、ここではっきり見ました。
1歳にならない前に、母の入院中ずっと泣き止まず、事情を知らせようとしたのでしょう、赤チンで真っ赤だった母の手術の傷跡を見せられたショックで、小さくて無力な私はバズーカを食らったような衝撃を受けました。母が死んでしまうと思ったようです。胸に大穴が開いてましたっけね。。。
このトラウマが人生に次々と類似の痛みを投影し、傷はどんどん深くなりましたが、今現在、特に障るような事でもしなければ症状が出ない肺マックくらいで済んでいるのは、二度にわたる徹底浄化のお陰です。人生にこの傷が投影されることも無くなりました。
でも、こんなエネルギーはまだ可愛い部類です。。。
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