完成したダイヤモンド
昨日は、小雨が舞い散るなか、大学院時代の友人の告別式でした。
母を見送ってひと月ほどで大学院時代の恩師が亡くなり、またひと月ほどで、今度はお友達にお別れを告げるようで…今年の太陽回帰図で8ハウスにヘッドが入った、それかな。。。
友人とは生まれ年まで同じで、まだ還暦に数年を残しての帰郷です。亡くなる寸前に最後の論文を仕上げるなど、ものすごく精力的に幅広く活躍していた人でした。
体力も気力も十分以上、ほとんど同じ体型で、彼女の方が一層細いのに、どこからそのバイタリティーが湧いてくるかと思っていました。
「まだ早い」と思うのは人の自然でも、彼女はものすごく充実した毎日を送り、うん十年を生きました。
二人とも胃が小さくて飲食物がたくさん入りません(^^)
大学のカフェテリアで、食堂の親切なおばさんがマグになみなみとコーヒーを注いでくれるのを、「飲みきれなくてね〜」と、ちょっと困ったように彼女が言った顔など、ほんの数ヶ月前のような気がします。
いつからか、人の目に立つ達成や輝かしい業績と、日常のささやかな経験の豊かさが同等に感じられるようになりました。
人生に用意してきた全てを体験して向こうに帰る時、人生が成就するのだと思います。
一つ一つの細部全てがかけがえがなく、たとえ世間的な評価を受けないことであっても、宇宙的にはかけがえのない体験であり、そこに区別はありません。
彼女はその全てを生き切って帰って行ったことでしょう。
彼女を見送る体験もまた、私にとってかけがえのない人生の時間でした。
僧侶の読経の最中、彼女とも心の中で話しながら、ふと、「彼女のダイヤモンドは完成した」と誰かガイドが言うのを聞きました。
ブリリアントカットのきらめきさながら、全ての人生の一コマ一コマが夥しい光となって、彼女の人生を形づくり、それが遂に完成したということでしょう。
千尋ちゃん、ありがとうね、色々な体験を共有できたことに心から感謝するよ。
またいつかね☆
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