聖なる死の次元の流入
ここ最近一番強く感じる変化が、二元性の感覚がどんどん薄まっていることです。
母がこのタイミングで別次元に移行したのも、とても助けになりました。
今はもう落ち着いてきていて、お葬式前後ほどでは無いですが、聖なる死の次元と言ったらよいでしょうか、彼岸のエネルギーが此岸=日常に流れ込むことで、日常までが彼岸化するような感覚が続いていました。
その間に一層、この世的な二元性の感覚が失われ、全てが素晴らしい、全てがよい、というワンネスの感覚が優越するようになりました。
これは便利です。
浄化統合が、二元性から抜けきれないままだった頃とは比較にならないほど、楽になりました。
ネガティブなエネルギーや記憶に対して、全く拒絶感が無いため、単純に手放すことができます。
拒絶感は抵抗感なので、結局そのエネルギーに強くリンクし直してしまう可能性があります。
嫌い、こんなの要らない!、あっち行って、と思っても、そうした強い拒絶感は、対象とその関係にエネルギーを与えますから、ちっともあっちに行かないなんてこともね ^^
ネガティブでもポジティブでもなくて、ただ手放すタイミングなので手放す、みたいなニュートラルな状態なら、これが単純に手を離すだけなので、しこりません。
ほんと、びっくりするくらい手間がかからなくて早いんだわ、これが。
「死」と言うと、あれこれ余分な解釈がまとわりつきますが、要は、この世界で見ている夢を対象化して、端正な距離感でもって起こっていることを見るのを可能にしてくれる、永遠の生命の世界です。
本来私たちすべてが、この二重の世界を同時に生きているはずなのに、この物質界があまりに強烈な感覚に満ちているため、対となっているもう一つの世界を完全に忘れてしまう。。。
それで一層物質界の体験を濃厚に出来ますが、その偏った世界という牢獄に繋がれた囚人だと信じ込み、本来の自由を見失ってドロドロに苦しんだりもします。
そして、それもまた得難く貴重で意義深いことです。
永遠の生命から見れば。。。
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