パリの不死鳥
先日、エッフェル塔と並ぶパリの象徴とも言えるノートルダム大聖堂が焼け落ちました。
幸い修復にかかる巨額の費用も世界中から即座に集まり、いずれ壮麗な美貌を取り戻すことでしょう。
それでもこの惨事、やっぱり…と思った方も多いのではないでしょうか。
最近のパリの荒れ方はひどくて、人心の荒廃とエネルギーの重さが目立っていました。巨額の寄付金に対しても、貧困で苦しむホームレスなどの援助が先の筈という批判も多いと聞きました。
もともとこの都市は、分離の幻想が一際きつかった印象があります。
知性でも経済力でも権力でもで武装するか、エゴの分厚な硬くて冷たい仮面をつけて自分を守らなければならないという信念が、そこここに感じられました。
強固な自己防衛を生む源は、人は敵であり、隙を見せれば侵害されるという恐怖=分離の幻想であり、分離というエネルギーが招くのは、離反や暴力、破壊です。
それでも、96mの高みからそれを見ていたであろう風見鶏が、その尖塔が崩壊した焼け跡から、奇跡的に見つかり無事でした。
バベルの塔のように人々を隔てる塔は、一度崩れる必要があったのでしょう。
そして、その激しい浄化の炎に包まれたのは単なる風見鶏だったのか、変容の炎から復活するフェニックスだったのか…。
聖堂の修復自体に十年単位の長い時間がかかるようですが、それと並行して、パリが融和と調和の都市へと変容するのを期待したいと思います。
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