虐待が無くなる日
これまでは表に出にくかった虐待のあらゆる形が、世界的に噴出している感があります。
その表現としての形は色々でも、虐待の本質として、傷ついた自我とコントロールのエネルギーが深く関わっていると思います。
以前、痴漢の常習犯たちをインタビューした記事をどこかで読みましたが、その動機は、性的なものではなく、気晴らしやストレス解消でしたが、その本人の言すら本質をついていません。
本当の動機は、言語道断なレイプでさえも、相手を完全に支配して言いなりにさせる、そのパワーゲームの衝動でしょう。
自分よりも力が弱かったり、弱い立場にある者の尊厳を奪って支配することがその動機です。
そこまでしないと、ひどい劣等感や、傷み過ぎて支えることが出来ない自己価値観を維持できないという構図になります。
虐待の加害者で、自分自身に満足して、安らかに人生を楽しんでいる人は絶対にいません。
虐待の行為自体は許されなくても、虐待の加害者に対する非難や罵倒や制裁の代わりに、世間の常識として、その甚大な痛みを癒すことをまず考えるようになって、初めて虐待がこの世界から消えるでしょう。
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