O Sole Mio
瞑想も、ここに来て修行色が完全に脱落しました。
エネルギー補給と故郷への一時帰国、そしてチームやアセンテッド・マスター、龍神や天使などとのカウンセリングタイムです。
時々、瞑想中のガイドのセリフに大受けして、手を叩いて笑っていることもあります。いえ、霊の手じゃなくて、肉体の手を叩きながら声をあげて、体を揺すりながら大笑いしてるの\(^o^)/
だってね、某有名人のことをね、「クールでシャープに見えても、あれはね、あなたと同じで、ええかっこしいだよ」とかってさ…(爆www)
一番のお楽しみは、ぼほぼほと勝手に呼ばせてもらっている、魂の御親と遊ぶ時です。
ぼほぼほ豪快に笑っているようなエネルギーなので、そう呼んでいますが、「ぼほぼほ」なんて書くとちんまりまとまりすぎていて、実際は…
☆;+;。・゚ぼほぼほっ;+;☆;+;。・゚
って、これでも全然迫力足りないな。。。
このぼほぼほと遊ぶ時は、とっても元気なインナーチャイルドか、素に戻った私なのか、とにかく恥も外聞もぜええんぶ無しで、子供そのものになってます。
「きゃあ〜〜〜!!!」とか「うっきょ〜っ!!!」とオカメインコの絶叫みたいな喜びの雄叫びをあげて、エネルギー的に爆発しているようですが、これでようやく「全ては喜びだっっっ」というぼほぼほのエネルギーとシンクロするようです。
年が明けてすぐ、ぼほぼほと遊んでいて、「ここには無限の喜びと無限の至福と無限の智慧がある。どれが欲しいか?」と聞かれたので、無邪気そのものの子供の私は、即座に「ぜんぶっ!」と答えました。するとぼほぼほはフワ〜っと微笑んだようなエネルギーになり、「い〜い子だ、全て与えようっ」と言いました。
以前は、ぼほぼほは遠くから見る太陽のようだったのが、これをやり始めてからというもの、いつもその黄色味を帯びた白金の光に包まれています。
あ…これをやっている時は、集中が深いので、あっちの世界で吠えているだけで、こちらでは静か…だと思う、多分(^0^)
ぼほぼほに包まれて挙げる雄叫びこそが、永遠の喜びそのものであり、その叫びと共に弾ける光も、決して失われることがないのを深く感じます。
肉体の世界の事ではないのに、喜びが純粋だからなのか、あるいはそれが本当の自分自身のエネルギーだからなのか、リアルな感覚があります。
下手をすると、現実界の喜びをはるかに凌駕しているような感じすらします。有難いのは、現実界の喜びが外側の事象に左右されがちなのに、この霊の喜びは何物にも影響を受けず、徹底的に安定している、という事です。
O Sole Mio(私の太陽よ)〜♪
しかも決して沈まない。
外界に投影されたものじゃなくてね。
爆発しながら永遠に輝いている!
自分自身の内側で。。。
ということで、最後に20世紀の至宝3大テノールでどうぞ。
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