魂の旅
半生が相当きつかったので、煉獄期間中も、まあ、もう、聖職の浄化(ネイタル太陽のサビアンです)ですから…くらいに考えていましたが、今にして思えば「魂の闇夜」というものがあるとすれば、まさしくそれだったに違いありません。
その最中、最愛の魂を見失った絶望が詩になったことがありましたが、ありゃあ、本当にひどかったわ。。。
魂との繋がりは神との繋がりといってもよくて、これ無しにどうやって満たされる?
魂について知らなければ、物だの人だの地位だのお金だのという、魂の永遠の喜びや満足の投影を追いかけて、手に入るとか入らないの騒動になりますが、それで一喜一憂していられるうちは、まだ代わりを期待できる場合もあり、かなりマシかもしれません。
魂との繋がりのような絶対の!唯一無二の滋養に、どんだけ探しても、「代わり」はありません。
今すっかり落ち着いて、魂との繋がりを自在に感じられると、「自分自身が魂の一部なのにね、どうしたら、あんなにひどい事になるのかな。。。」と不思議になりますが、あの時は分離のきつい幻想が圧倒的にリアルでした。
浄化しなければならない重いエネルギーがどんどん浮上してきていて、その重みに飲み込まれていたからかもしれません。
波動が重すぎちゃったのね〜。。。
こうして波動が上がれば、なんでもない、いつも魂に包まれているのがフツー。。。
さらに、意識を向ければ、その魂の源のようなぼほぼほと呼ぶ、巨大な太陽のような強烈な輝きと愛を感じることもできます。
しかも、少し前までは、まだその源の光と距離がありましたが、そんな距離はもう存在しません。
おそらく地球の波動上昇が進み、その強烈な光にシンクロしやすくなっているのでしょう。
実は、この魂の御親、精神世界に足を踏み入れるタイミングで、それと知らずに見たことがありました。
まだ、瞑想を始めたばかりで、プロとしてリーディングなどするとは夢にも思わなかった頃です。レイキの講習の始めに、全身のヒーリングを受けている最中のこと、目を閉じたその闇に、ぼんやりと小さく浮かぶ太陽のような光が遠くに見えました。
はっきり声として聞こえたわけではなくても、その光が「よく帰ってきたな」と、慈愛のこもった感じで言ったように思いました。
その瞬間、聖書の放蕩息子を思い出し、全く唐突に「あたしは放蕩息子だったんだ…」と直感。でも、帰ってきたの?どこに?みたいな状態で、何を見たのか、何が起こっているのか、全く理解できませんでした。
生まれてからの記憶喪失に最初の光が差し込んだ、それは2003年の早春でした。
本当の自分自身を思い出す最初の一歩だったことは確かでも、それは帰還の始まりで、それからの十数年、死ぬような思いをうんとこさしましたが、本当に帰れたような気がします。。。
勿論、帰還は永遠なので、まだまだ旅は続くでしょう。
でも、もう魂を見失ったりはしない。
決して。
はあ、ふう、やれやれ。。。
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