神の波動を受け取る by イエス
波動を上げておくのが全てでも、具体的にどうよ、と言われれば、それこそ時と場合、事情によって千差万別の方法があるでしょう。
しばらく前にこの事を考えていて、ふと『光の書』を開こうと思い、引いたページが「166 注意を向ける」(pp300-301)でした。
あなたが紅茶をスプーンでかき混ぜる時、私はその音に宿っています。
私は自然の中に、最もありふれた事象の中に宿っています。
ほんの小さなことに注意を向けている時、あなたは私に注意を向けているのです。
(中略)
そして、泣きたい時に泣き、嬉しい時には手放しで喜ぶ人が浮かべる満面の笑みの中に、そのような正直な微笑みの中に、私が宿っていると言ったら、どう思いますか?
あなたが次に全くありふれたことをする時には、私を思い出してください。
心を開いて、私を招き入れてください。
私はそこにいます。
最初、???で読み始めましたが、すぐに微笑みが顔に浮かび、読み終えた時には、心の底から満たされ、静かな嬉しさでいっぱいになっていました。
「私」と書かれているのは『光の書』ではイエスですが、神と呼んでも差し支えないと思います。
遍在する神に意識を向ける時、神と繋がり、その無限の喜びの波動を受け取ることができます。
いいね〜、よくない?
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