愛された記憶
私の世代としては珍しいと思いますが、私が生まれたのは病院ではなく、母の実家でした。
お隣さんが助産婦で、田舎の村でお隣さんと言えば親戚のようなものです。彼女は町の病院にも勤めていたので、緊急時にはそちらへ、ということで自宅出産のその日。。。
3月と言っても途轍もなく底冷えする長野のことで、おまけに明け方とあっては、どんだけ寒かったかと思いますが、その凍てつく中を、祖父は座敷の神棚に百目蠟燭をあげて、出産の無事を祈り続けてくれました。
初めての外孫ということもあったようですが、その後も、母の実家を訪ねるたびにとても大切にしてもらいました。
こんなに大事なことを、数年前まで忘れていたのですが、本を読んでいてふと思い出し、カフェだったので涙が出てくるのをそっと抑えていましたが、家だったら号泣だったと思います。
ひどく辛い時、もう帰らせていただきますっ!とガイドに当たっている時でも、こんな風に心底大切にされたことを思い出せば、大きな救いになります。
今、生きてこれを読んでいる方の中で、こんな風に大切にされたことが一度も無い人はいないはず…そうでなければ、このきつい地球生活を耐えられたかな。
心から大切にされる、それに対して心からの感謝をする、また誰かを心から大切に思う、それらは全て愛です。
この愛を感じている時、私たちは生命の補給をしているのです。
地球で人間体験をしていれば、ひどい目に遭わされるのは当たり前、なぜなら自分自身でそういう体験をしようと決めてきてますから。
でも、そちらにフォーカスするのではなく、愛された体験にフォーカスするという選択はいつも可能です。
そして、きついチャレンジをしている時ほど、愛にフォーカスする必要があります。
愛のみが救いの力だからです。
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