理由がある vs 理由がない
満足感や幸福感を覚える時、一般的には理由があっての事です。
昨日のマイケルのメッセージにもありましたが、理由のある幸福感は長続きしません。
変化することのみが不変なこの世界にあって、どんなに望ましいものでも、遅かれ早かれ変わってしまいます。
勿論、そうした移ろうものから得られる喜びや幸福感を否定する必要は無く、その瞬間を100%喜び、楽しめば良いでしょう。
「儚い」喜びであっても、それをどうせすぐに終わる、なんて貧血したような発想で生きれば、人生も貧血気味になり、色あせて不健康なものになります。
それでも、その理由のある喜びや幸福感とは別に、私たち全員にアクセス可能な不変の満足や幸福感があることを知る必要があります。
瞑想などで、その本質的な無条件の満足や幸福感を体験すれば、その感覚を頼りに、その状態を復元できます。
あまりにひどい困難に揉まれている最中は、ちと難しいこともありますが、逆にそれだけの強い刺激を受けることで、ふと次元を飛び超えるように、この恩寵的な状態に入ることだってあります。
それは、日常を離れた魂の次元であり、そこにくつろぐ時、全てがありのままで完璧で、何も足し引きする必要のないことをありありと感じるのです。
そこから、私たちは自分自身も、自分の人生も、そして他者や世界も肯定することができます。
正真正銘の天国じゃないでしょうか。
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