遊ぶ by the PLANET from NEBULA
遊ぶことがこんなに大事だったなんて、半世紀も生きちゃってから気づいても、ちょっとなあ。。。
でもね、気づいただけマシ。
でしょ?
よく喩えに出される英語のレクリエーション、Re-Creation、まさに再創造です。
したいことがあったらとっととやってみる、という性分なので、この年まで生きれば、もう本当〜にしたいことは大方経験済みです。これがしたい、あれがしたい、というのが無くなりました。
それはそれで安らかで良いのですが、したいことが特別なくたって、定期的に遊ぶことが必要な時にね、なかなかモチベーションが上がらないんですよ。。。
先月の京都行きも、行きたいというより行った方がよいだろう、と重い腰を上げて…やっぱり大正解でした。
面白いタイミングですが、京都から帰って来て、とある雑誌で、伊集院静氏の旅についてのエッセイを読みました。
大の旅行好きで、月単位の周遊も含め、しょっちゅう海外へという人が、仕事が忙しくなりすぎて旅行もしなくなり、とうとう体調を崩してしまったそうです。
彼のことを知り抜いている夫人が、「あなた旅行をなさったら?」というので、「この忙しさで海外旅行なんて、絶対無理だよ」という答えたところが、「国内でも良いではないですか」という名案を授かったそう。
そこで二月に一度、国内旅行をするようにしたところが、体調が戻ったそうです。
ルーティーンの中に埋もれてしまい、義務や同じことの繰り返しなどによる疲れが溜まってくると、エネルギーがどんどん淀んで回転が悪くなるのを感じます。
この停滞にカツを入れ、再び人生を創造する力を与えてくれるのが、「遊び」なのです。
the PLANET from NEBULAより転載します。
遊び
遊ぶ事は別に不謹慎な事でもなんでもありません。遊ぶこととは自分のエネルギーをフルに使って好きなことをすること、または自分が心の底から一番やりたい事をすること、これが遊ぶことです。ですからワクワクを追いかけることも遊ぶことでありエンジョイすることを意味していますから、サバイバル視点の真反対の視点に降り立つ事を意味しています。
世間一般的に遊ぶことは生きるために直接必要のないものだと認識されています。よって”無駄なこと”をしているといった認識があるため、不謹慎な気分になったり罪悪感を感じたりするのです。しかし、幸せで満たされた人生を生きる人たちはみな遊びを知っています。心から自由に遊び、エンジョイする仕方を知っています。心がゆっくりしたいと感じれば、ゆっくりした時間を過ごします。そこに何の罪悪感もありません。外に出かけたいと感じれば、それを素直に受け取ります。義務感や罪悪感なしに心に沿って自然に身体が反応しています。
真の幸せとは心が満ち足りて満足する意識の事ですから、もちろん罪悪感や義務感から得られるエネルギーではありません。つまり、真の幸せは貴方のワクワクが齎してくれるのです。ですから大いに遊んで楽しみましょう!
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