やっぱりオセロゲーム
絶不調でも良い事というのは、結構あるかもしれません(神経系の誤作動がひどいと、うつ病みたいな苦悶感が出て、死ぬほど苦しいのは勘弁して欲しいですが)。
フツーに気分が良いだけで、天国な日常に感じられるとか…
体が重すぎて動けなくてもPC作業はできるので、たくさんブログを書き溜められる…とか(^0^;)
いえいえ、そんなんじゃなくて、フツーに健康なら多少のストレスなど何でもないのが、結構な苦痛につながることで、またまたオセロゲームになったりします。
ちょっとした事でバランスを崩しかねないので、改めて苦痛との向き合い方を考えざるを得ない。。。
この半生で、断続的、あるいは年単位でのひどく苦しい経験がトラウマになってしまい、苦しむことに対する強い恐れを抱えている事に、どのくらい前だったかな、気づきました。
どうしますかねえ、と思ったものの、明らかにタイミングが来ていないようだったので、ペンディングに。
でも、今回、もう一度フォーカスしてみて、ふうっと答えがわかりました。
苦痛はそのままでよし。。。
苦痛を抱えているその余白、つまり拡大した意識と両方を意識していれば、それでOK。
苦痛を感じてその苦痛に飲み込まれると、ただ苦しいだけですが、苦痛を感じている自分とオクターブが上、というか高次の自分を一緒に意識している事で、苦痛との間に距離ができます。苦痛も自分も本来の自分が包み込んでいる。。。
これはすごく大きな違いです。
割と最近気づいたばかりで、これが的をついていることは確かだと感じられますが、この体、というかエネルギーシステムに落とし込むまで時間がかかるでしょう。
顕在意識と普遍的な意識の統合ということになるので、どのくらい訓練が必要なのか見当もつきません。瞑想したりしてアクセスする本体を、日常的に感じ続けるってね、う〜〜ん(--;)
でも、これができれば、苦しむことを恐れなくて済みますから…
できないかもしれなくても…
やってみよう。
やってみてる途中で地球VISAが切れちゃっても、それはそれで良い、ということで。
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