内なる別次元
瞑想中、いつもの事ですが、ハートの中に燃える白い炎を見ていました。
Mirus Clubにご参加の経験があれば、ああ、あれね、とお分かりでしょう。そう、エネルギー調整の際にチェックする「あれ」です。
いつもと違ったのは、ふと「ああ、これは別次元の存在なんだ…」と気づいた事です。
普段、あまりに強く肉体にフォーカスしているため、肉眼で見えたり触れることのできる物だけが存在し、自分もまたこの肉体だと感じていたりします。
でも、肉体は、本来意識の入れ物ですら無く、ただこの物質的な次元を体験するために必要な集中点に過ぎないはずです。
意識は広大無辺で、肉体という集中点はあっても、そこに様々な次元が重なり合ったり、並行しているわけで、ハートの光は、その光独自の次元に存在しているというのも当然のこと。。。でも、気づくまで気づかなかったわあ(^0^;)
前のブログの詩「故郷への橋」は、この気づきから生まれました。
しばらく自律神経系の絶不調で断続的にブレているせいか、分離感がまた強くなっているのかもしれません。
バランスが整っている時なら、もう「まんま」で、自分が魂の一部であってもホログラムのように全体を映し出しているといった全体性に安らげますが、こう不調が続くと、瞑想して橋でも渡らないと、魂を感じられません(--;)
もっとも、以前、魂と完全に切れてしまったような絶望の絶叫みたいな詩を書いた頃とは、比較にならないくらいマシです。
ありゃあ、ひどかったな。。。そういうひどい目に遭っとくと、フツーに辛いくらい何でもなくなるので、それはそれで悪くないですね。
こうやって、自分自身の内側に未知な宇宙が広がっていると思うと、軽い目眩を感じるような、それは狭っ苦しい檻から解放された瞬間に感じる目眩かもしれません。
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