自信 by the PLANET from NEBULA
引用の最初に、「多くの人たちは自分に”自信さえあれば”と考えます」とありますが、この「自信」を「お金」に変えても同じことだと思います。
どんなにお金があっても、本質的な満足感が内側に無いと、決して足りることがありません。
欠如があるから足りないので、実際にお金があるかどうかではないです。
エネルギー的に欠如を抱えていると、何が手に入っても満足できません。すぐに別の物が必要になります。
BMを運転しながらレクサスに目移りし、コンバーチブルのベンツが買える余裕があっても、ランボルギーニが欲しいのにい…!みたいなことになるでしょう?
これ、無名のうどん屋さんで、十分イケてる鍋焼きうどんをお腹いっぱい食べて、美々卯のうどんすきが食べたかったのにい…!でも原理は同じ。ゼロの数が違うだけで。。。
自信も同じことです。
うんとこさ努力して見栄えの良い学歴や職歴を飾ったり、山盛り資格を取ったり、賞賛を浴び続けても、内なる満足が無ければ、安心感は持続しません。
自信は、自分を信じると書きますね。
自分と人生を信じる、という「意志」が無いところ、つまり、無条件に人生を信じて安心することを意識的に選択しないところに、本当の自信はないです。
無条件に人生も自分をも受け入れて信じるとしたら、人生のどん底も、自身の欠点や弱点もありのままに認めることになるので、自然と謙虚になるでしょう。
これができるから、あれを持っているから、これだけの業績があるから、というのは、一種の自信過剰かエゴのインフレーションかもしれません。
その全てが崩壊してしまったら?
それでも、本当の自信は生き残るでしょう。
だって、自分を超えた本質的な生命への信頼ですから。。。
これ、言うのは簡単でも、山あり谷あり泥沼ありの人生で、鍛え抜かれた果てに手に入るようなもので、この際、自信のある無しにはこだわらなくて良いんじゃないでしょうか?
出来なくても出来ても、やってみるだけ〜☆
成功すれば嬉しいし、失敗してもタダで起きなきゃ成功以上に貴重な物が手に入るし、どっちに転んでもOKでしょう?
しかも肉体を脱いでから、地上での手痛い失敗などが、素晴らしい価値を持つことを知ったなどというあちら側の話もよく聞きますしね。。。
the PLANET from NEBULAより転載します。
ありのままの貴方のパワー
多くの人たちは自分に”自信さえあれば”と考えます。自分に自信させあれば何事にも勇気が持てるのに、と考えます。自信があれば魅力的な人間になれるし、人生をもっと上手く運ばせる事ができるに違いないと考えます。しかし周りの人に”自信を持ちなさい”と言えるのに、なかなか自分で自信を持つことがでないでいます。
自信とは、自分を信頼して認める事です。何事にも折れない自分で”いつでも自分は大丈夫”という精神を意味しています。また自信は貴方のハイヤーマインドと真っ直ぐ繋がる自分でもありますから、”ありのままの貴方”が持つ”初期設定のパワー”でもあるのです。
ですから、自信ある自分は自己過信や自己陶酔とは違います。真に自信を持つこととは、ありのままの自分を認め、もう一人の非物質界にフォーカスする自分(ハイヤーマインド)とアライメント良でいる事なのです。ですから、自信ある人は周囲にもナイスであり、自分に対してもナイスです。そして何事に対しても楽観的で、自分がブレる事はありません。
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