自然な自分を生きる
自分も周囲もストレートなのに、なぜかLGBTの人達に親近感があり、色々な困難を乗り越えて結婚したとか、出産したとか、あるいはカムアウトして自由になれた、などという話を読む度に心底嬉しかったりするのが、ふと気になりました。
で、ちょっと考えてみたら、わかりました。
周囲から押し付けられたスタンダードに合わない自分を偽って、仮面をつけて生きるのは、LGBTに限ったことではありません。
この世に生きる普遍的な苦しみだと。。。
最初は押し付けられた仮面であっても、やがてそれが内面化して、自分で自分に強制するような具合になってしまう人がどれだけ多いことでしょう。
私もその一人でした。
でも、本当の、あるいは自然な自分を押し殺して生きるのは、一種の精神的な自殺です。これで苦しみを感じなかったら、どうかしています。
自分の中に埋め込まれた、スタンダードに合致した自分でなければ受け入れられない、とか、生き延びられないという恐怖を掘り出して、それが幻想であること、そしてその幻想が、現実をそのようなものとして脚色してしまうことを見破れば、あとは…
「私はこんなんですが、何か?」
と澄ましていれば済むことが、多いかも。。。
誰が何を言ってもカンケーありません。
許可や承認は、自分で与えるものなのに、それを他の誰かが与えようとするなら、えらく僭越なことではないでしょうか?
攻撃的な事を言ってくる人がいたら、マイケル・ローズの「人を嫌う人は、自分のことが嫌いなのです」という言葉を思い出すだけです。こちらに余裕と慈悲があれば、そういう相手を理解して受け入れることも難しくはありません。
自分の中の恐怖こそが、危険の最たるものです。これをきちんと癒すか、意識の光を当てておくことで、深刻な危害に類することは防げるはずです。
- スピリチュアル・アーカイブ
- / trackback:0
- / comment:0
- [ edit ]