自分に負けたくなかったから歩くことにした by ウォルター・カー
車が無いと移動できないアメリカ合衆国で起きた話です。
アルバイト初日前夜に自家用車が壊れてしまい、30キロ以上離れた勤務先に出向くのに、友人に当たってみてもダメで、8時間歩けば着くと、夜通し歩く覚悟で歩き始めた大学生。。。
数時間歩いた後、休憩しているところを、警察官が大丈夫かと声をかけて、事情を話したことから色々助けを得られ、ひどい苦労をしたものの、無事に勤務先に着き、仕事ができました。
思わず助けてしまった警官も含め、その誠意と根性に周囲の人たちが感動したのは勿論ですが、このエピソードを知った雇い主も心を打たれ、まだ新車だった自分の車を贈ったという、ハッピーエンドストーリーです。
犠牲者になることを選ばなかった。。。
彼は自分とそのチャレンジを課した人生(多分土星先生?)に負けたくなくて歩いた。。。
あのハリケーン・カトリーナに遭い、お母さんと一緒に引越しを余儀なくされたそうです。その災害の渦中か、それともその前からなのか、彼は自分を犠牲者にすることを拒否し、チャレンジを受けて立つことを選ぶ人になりました。
これが土星じゃなくて、起爆剤が冥王星や蝕なんかだったりすると、とことん破壊的な状況を乗り越えるチャレンジの場合もあり、「犠牲者は存在しない」と言い切るのには多少の逡巡があります。
それでも、チャートにはっきり現れているということは、自分が持ってきたブループリントです。
やっぱり犠牲者はいなくて、犠牲者だというその見方の犠牲になっているに過ぎません。
勿論、事実レベルでの加害/被害の立場はあって、それでも事実レベルでの被害者が、その状況を受け入れ、断固として立ち向かう時、あるいは自分を守り、回復させるために力と智恵を振り絞る時、あるいはその状況から霊的な宝探しに転じる時、その人は犠牲者ではありません。勇気あるチャレンジャーです。
そういえば、少し前に「愛を生きる ヘンリー・スコット・ストークス氏」でご紹介したストークス氏も、見事なチャレンジャーでしたね。。。
チャレンジがこの世的に成功するかしないかはどうでもよくて、焦点は、犠牲者にならないことを選ぶか選ばないか、ただその一点にかかっています。
今回、チャレンジを全うしたカーさんは、思いがけず高価な自動車を得ましたが、もっと価値あるもの、この体験から来る霊的な豊かさを得たと言えます。
お金や物質は故郷に持ってゆけませんが、この体験は永遠です。
最近、人生で、この本質的な豊かさを生きるために必要なのは、「あきらめない」と「転んでもただでは起きない地球のど根性」だ、としみじみ思っていたところへこの記事で、シンクロに唸りました。
オリジナル記事は以下のリンクに飛んでお読みください。
車が壊れた大学生、深夜に歩いて出勤。CEOもびっくり、車をプレゼント。
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