愛を生きる ヘンリー・スコット・ストークス氏
親としても稀有な方のようですが、人間としても凄いわあ。。。
認知症になっても、こうやって前向きに生きられる…
覚えておきたいと思います。
三島由紀夫の伝記じゃなくて、ご自身の自伝が読みたかったです。
朝日新聞デジタル&Mより、部分転載です。
ハリー杉山さんが「人生の理想像」の父からもらった言葉 "You failed upwards."
父は、イギリスの経済紙『フィナンシャル・タイムズ』の記者として、1964年の東京オリンピックを世界に伝えるために日本にやって来ました。その後『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を務め、僕が生まれた1985年頃にはフリーランスのジャーナリストになっていましたが、小さい僕をよく仕事の現場に連れて行ってくれました。外国特派員協会で開かれる記者会見では「お前もフリーランスジャーナリストとして聞きたいことがあったら聞いてみろよ」と促してみたり、サッカーのトヨタカップで来日していたACミランの選手が宿泊しているホテルのロビーで「声をかけてみなよ」と背中を押してくれたり。
ただサインをねだって、もらって帰って来ただけですが、その一連のプロセスは、シャイで臆病な当時の僕にとって、自分にもできることを知る貴重な機会になりました。挑むことへのチャンスを与えてくれました。
父は、何があろうと僕のことを信じ、サポートしてくれました。僕のイギリス側の家系はこの200年、受験した人たちはみんなオックスフォード大学かケンブリッジ大学に入ってきましたが、僕が受験に失敗したことで200年の流れが途絶えてしまった。大人になり、僕は一族の落ちこぼれだろうという話を父にしたら、こんな言葉を僕が30才になった時、かけてくれました。
“You failed upwards.” (君は上に向かって失敗したんだ)
「落ちこぼれなんてことはない、その失敗がなかったら今の君はいないだろう」と言ってくれた。僕にとって最高の格言ですね。僕のことを無条件に、圧倒的に信用してくれているんです。ロンドン大学に入って、中国に留学して中国語がある程度しゃべれるようになって、あとは卒業だけというタイミングで「日本の芸能界に入る」と言い出した時も、僕の勝手な考えを受け入れてくれました。
育児では、親が強引な道しるべを子どもに与えてしまいがちですよね。僕だって、いつか子どもができたら、そういうふうにしてしまうかもしれない。
でも父はいつも、「お前はやりたいことをやれ」と言ってくれました。彼の育児や子どもとの触れ合い方は、日本で一般的な父親像からは程遠いものですし、世界的に見ても異端の父親だと思います。僕は彼を呼ぶときにファーストネームで呼びますし、父親というより親友という感覚です。もともと彼は7人きょうだいの唯一の男なので、ずっと欲しかった弟のような感覚で僕に接していたのかもしれません。
学費も含め、金銭的にも相当苦労を掛けました。友人に借りてまでお金を工面していたということが後々わかったのですが、もともと愛される人柄であり、少し抜けているところもあって、そういう人だから許されたんでしょうね。ちょっと中毒性がある人格というか。
偏見の目も決して持たず、人種においても、セクシュアリティーにおいても、障がいがあっても、誰にでも輝いている個性を見つけ、その人の面白さを引き出す力を持っている。若い頃には三島由紀夫さんと親交があり、彼の伝記も書いていますが、父だからこそできた仕事だったのだろうと思います。
最近は耳もほとんど聞こえなくなってきてしまいましたが、ある時、彼が僕にこんなことを言いました。「自分が自分のことを見失っていることはよくわかっている。でも、そうなればなるほど、世の中って面白いものだな」って。体は動かない、耳も聞こえない、2分前に起きたことも忘れてしまう、そんな状態でも、まだそんな気持ちが持てるなんて、本当に前向きで強い人だと思います。
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