人は見かけによらない
前回のギャザリングの続きです。
「許しの瞑想」のプロセスで、相手の言い分を聞くというパートがあります。そして、最後に相手の魂にも話を聞くのですが、これが全然違うのです。
普通の意識状態の相手が非難や拒絶などネガティブな反応しか示さない場合でも、魂レベルでは熱烈な感謝を伝えてくることもあります。
実は、これ、私の体験なのですが、もう許しの瞑想をしなければならない相手もいなくて、どうしましょうね、と思ったものの、皆さんのタイミングを計る都合上、その場でテキトーに候補を挙げてご一緒することにしました。
随分前に、浄化も含めて経験すべきことは完了している相手だったので、言いがかりのような非難をぶつけられても、特別な感情もわかず、腹も立たず、「あ、そんな風に今でも思っているんだ」くらいでした。
本当に完了した関係というのは、こういうものなのでしょう。ただし、相手がそのようなしこった感情をそのままにしているのなら、その方にとっては終わっていない、ということになります。浄化や自分自身を変容させる事には全く興味の無い方だったので、こんなに時間が経ってもそのままで、ちっともおかしくはありません。
ところが、その人の魂にアクセスして、心底驚きました。
似た声でも雰囲気が全然違い、ただひたすら「有難う、有難う、本当によくしてもらって有難う」と満面の笑みのようなエネルギーと共に、繰り返し伝えてくれました。
そんなに感謝してもらっているとは全く知らず、驚きながらも、その温かな愛のエネルギーに心を打たれました。
他にも、相手の魂からの、ガイドと見紛うようなメッセージを受け取られた方もいらっしゃいました。
全ての人が、こんな風に、表面的なパーソナリティとはかけ離れた、波動の高いガイドレベルの自分を持っています。
こうした自分の多重構造に慣れると、人でも自分でもの表面的なパーソナリティーがさして重要でない気がしてきます。
勿論、日常世界という豊かな体験の場で、このパーソナリティがものすごく役に立っているのは確かでも、それは本来の自分からすれば、ごく限られたフェーズに過ぎません。
人は見かけによらないって、もっと深い意味で本当なんです。
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