相手の事情 by バシャール
the PLANET from NEBULAより転載します。
これ、本当によく見かける事です。
私たちほぼ全員が、分厚なメガネをかけているようなもので、全ての情報は、自分自身のメガネ=思い込みや信念の経由でしか受け取れません。
そんなわけで、話していて、下手をすると、正反対の意味に受け取られることもあります。
また、部分的にしか理解されずに、全体としての意味を誤解されることもあります。
意識的には勿論ですが、抑圧された悪意も無かった場合、相手が傷つくとしたら、それは相手の内側に原因があるので、その責任は負えないし、きっかけを作ってしまったことに対して謝ることはできても、それ以上のことは出来ません。
以前、とても奇妙な話を聞いている時に、話し手の方が、こんな話は誰も信じないだろうという強烈な信念をお持ちで、私がいくらニュートラルな態度でいても、疑っていると思われて、どうにもこうにも誤解を解くことが出来ずに往生したことがあります。
こうした場合、健康な境界線を意識して、自分の立場も、相手の反応も尊重することが双方の益になると思います。
学びのきっかけ
相手を傷つける気持ちがなくても、時に相手を傷つけてしまうことがあります。相手を思いやって言ったつもりでも、そう捉えられない事もあるでしょう。そして、思いがけない自分の行動や言動で相手を傷つけてしまった事に対して精神的なトラウマを抱えてしまう人もいます。
相手を傷つけてしまった部分に関して責任を負うのは当然なことかもしれません。しかし相手の反応に関してまで責任を負う必要は無いのだと、バシャールは話しています。何故ならば、貴方はただ反応が起こる”きっかけ”を与えたにすぎません。相手の波動内にあるネガティブ信念によって引き起こされる反応なわけですから、その反応に対して責任が及ぶことはありません。
また貴方が傷つける気持ちのない言動や行動に対して、すでに相手は”傷つく選択”をしている場合も多々あります。そこに学びがある事を潜在的に知り、貴方はその学びのきっかけを投げてよこしているのです。
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