勝ち負け
勝ち組負け組なる表現、最近あまり目にしなくなったような気がしますが、それは私の周りだけ?
エネルギー的に言えば、同語反復のようなもので、勝ち負けという判断のパラダイムにいる限り、どっちの極にいようが、同じことです。
戦争に勝者がいないのと同じで、勝ち負けという判断基準で生きる限り、勝っていても、負けからは逃がれられません。
永遠に勝ち続けるのは不可能で、負ける日を先延ばしにするために、どれだけの犠牲が払われるでしょう?
五輪四連覇の水泳選手マイケル・フェルプスは、五輪が終わるたびに重い不調に見舞われ、アルコールや薬物への依存を経験しました。ひどいうつ病だったそうです。(CNN.co.jp : フェルプス、うつ病との闘いを語る「命を断たなくてよかった」)
その後、マレーシアの奥地で未知の言語が採集されたというニュース(マレーシアで未知の言語発見 AFPBB News)も読みました。
言語は、その言葉を使う人々の文化、価値観をもろに反映しますので、分析すれば、どのような生活がなされているのかがよくわかります。
この話者わずか280人という未知の言語を分析したところが、男女差別が無く、暴力もほとんど無い、さらに子供たちには「競争しない」ことが奨励される文化であることがわかりました。
古来から、そして今もなお、勝ち負けが相変わらず幅をきかせているような地上にも、このような暮らしが既に存在していたという事実は、改めて人間の持つ可能性の幅を思い知らせてくれるようです。
選挙などというシステムが本来不要な場で、売り上げのためでも何でも、順位をつけて、メンタルの専門家を雇う羽目になっても、人を物並みに扱って尊厳を著しく傷つけていることに気づかない、そんな不感症社会への解毒剤のような気がしました。
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