嫌いな人の幸せを祈る
初めて慈悲の瞑想に接して印象に残るのは、まず最初に自分自身の幸せを祈ること、また、途中で嫌いな人の幸せも祈ることでしょう。
ひどく憎んでいたり、嫌いな人の幸せを祈る時、好きな人のことを祈るような、心底の慈悲を感じるのは難しいはずです。
まだ傷や苦痛が癒えていない状態では、多分誰がやっても難しいとは思いますが、それでもできちゃう!コツが、実はあります。
それは、普段の意識状態を完全に超えて、ワンネスに溶け込んだ本来の自分に意識を移すことです。
山下良道師の『光の中のマインドフルネス』(サンガ刊)の中でも、慈悲の瞑想前に、この本来の自分に軸足を移すための準備瞑想が用意されています。
ですが、正直なところ、日常的に瞑想などで、普段の制限された意識ではない本質的な自分という意識状態を知っていて、かつ、その自分にアクセスできないと、準備のための瞑想をきっちりしても、なかなか難しいと思います。
昨日のMirus Clubでも、十分な準備をして臨みましたが、成果は半々でした。
お勧めしたいのは、普段から瞑想や自分の意識状態についてのワークをしながら、時々この慈悲の瞑想をしてみることです。
いつか全く苦も無く、嫌いな人だろうが誰だろうが、他の人たちと全く同じように祈ることができるようになっているのに気づくでしょう。
そして、その時にはもう、「この人が苦しみから解放されますように」と祈れる安らかさは、その人に対する恨みつらみから解放されている許しの安らかさであり、その瞬間解放されているのは自分なのだということも、フツーに感じられることでしょう。
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