苦痛ノイローゼ
苦しんだだけの見返りがあるとは言え、度を越した質量の苦しみは、浄化するったって、なかなか浄化しきれるものではありません。
この人生、長期にわたるひどい苦しみを度々経験してきて、随分ヒーリングもかけましたが、まだ残ってるわ…と気づくのは、何かちょっとした事があった時の心の反応です。
大抵のことはどうしたらよいかわかっている時に、ちょっとした事で、心がわさわさしたりすると???だったりしますが、これ、決まって癒しきれていない古傷から来る恐怖が根っこです。
それがわかった時点でスッキリはしますが、同時に「やれやれ、まだ生きてんの〜」と呆れます。
要するに、苦しみ過ぎたために、苦しむのが怖いのです。
人生のスケジュールでもって避けられない苦痛に対しては、無駄な抵抗をせずに受け入れるのがベストだとわかっているパートとは別に、何に対してであれ、とにかく苦しむのが怖いと思っているパートがいる。。。(--;)
そのため、ちょっとした事でも、過剰反応して心が騒ぐわけです。
苦痛ノイローゼと呼んでいますが、まあ、これ、このマインドの宿痾のようなものかもしれません。
それでも、構造的にこうやって理解でき、暴走しないように首に縄をつけとけば(気づいていれば)、実害は無いです。
ちょっと前に「二足のわらじ」でも書きましたが、本質的な「私」の保護のもとでは、死ぬまでキープするようでも、大したことではないのかもしれません。
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