ご大切
誰もが求めていること、それは注目されたり、認められたり、求められたりという表面的なあれこれを超えて、本質的には、無条件に愛されることでしょう。
この地上では、未だに愛というものの理解がひどく混乱していて、ただの変わりやすい感情や、下手をすると執着や欲望などとまで混同されたりします。
いっそ、戦国時代の宣教師たちが使っていた愛の訳語「御大切」を、普通のなんでもありの紛らわしい「愛」と区別するために採用したらどうか、と思ったりします。
愛されるためにまず必要なのは、自分自身を愛すること、それだけです。でも、それがね…(^^)
『あなたが愛されない本当の理由』に詳しく述べましたが、自分を愛することは自然に身につくことがまず無くて、意識的に学んで体得しなければならず、人によっては相当な難事業になり得ます。
勿論(?)私も自分を愛することができない人間だったので、まずはそこからスタート。わりと早く愛情飢餓や孤独感をクリアーすることはできましたが、本当に自分を大切にすることは、それ以降も人生経験を重ねながら徐々に身につけてゆくようでした。
おかげで、今はこの人生で一番人間関係には恵まれていると思います。親子関係をはじめ、こんなに友情に恵まれて、初めからそうだったら当たり前なのかもしれませんが、心底感謝するようです。
それでも、なんか引っかかってるな〜という感じで、現実にも明らかにその片鱗が投影されているような、昨年末には侵入未遂などという「あなたね〜、ひどいものまだ持ってんのよ〜」というサインが。。。そして、ワークを続け…
とうとう、えらい物と対面することに…
それがこの5月でした。
「愛されなかった」という単純なトラウマを癒すには、自分を愛することができるようになれば充分な筈。。。それが、無意識の裡で棲息し続けていたのは、「愛されない」と同時にひどく痛めつけられたり搾取される、という複合産物でした。
書いてしまえば、これだけですが、これを引っ張り出した時には衝撃が強すぎて、みるみる崩壊してゆきました。プロでこれですから、慣れないうちは、超大物と直面する際には、信頼できるカウンセラーなどのサポートが必要でしょう。
一瞬でもアル中薬物中毒のような状態になり、「ああ、こうして人は転落してゆくんだな…」などという貴重な体験もできました。もう二度とやりませんが。。。
ただちやほやされることや、欲得づくで求められることに興味が無いばかりか、不快感を感じるのは、こうした痛過ぎる経験を重ねたからでしょう。
母は単に無知だっただけで、愛情もありましたが、所有物のように支配され、ありのままを認められず、尊重されるということも無く、窒息しそうになりながら、そこから出られない無力感でいっぱいで、こうしてうん十年の間に作られたトラウマは、親子外の人間関係に、親しければ親しいほど投影されることになりました。
私がクラッシュしたのは、この半生の膨大な苦しみや痛みの重みだったかもしれません。
そして、9月に、母との間にこのトラウマのケアが終わったと思われるようなイベントがあり、本当に終わったのかな…と思っていたところが、どうやら本当に終わったらしきイベントが最近ありました。
丁度、直面してから、半年です。。。
でも、その前に十年以上の仕込みがありました。
また一段と痩せてしまい、昔「私脱いでもすごいんです」というコピーがありましたが、「私脱いだらひどいんです」状態に…(爆)まあ、いいや、厳冬期に備えて、徐々に肥えることに致しましょう。
心底疲れましたが、ひどい重荷を下ろせた安堵感もあります。
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